佐伯志(史では無い)をめくっている。佐伯八景という項に目が止まった。
八景とは北宋の官僚宋迪(そうてき)が湖南省長沙に赴任時に描いた山水画、瀟湘八景がその始源である。洞庭湖、これに流れ込む瀟水、湘江の風景を描いた。これで八景のテーマが確定した。それが東アジアにも広まった。日本では雪舟の瀟湘八景、歌川広重の金沢八景、近江八景が有名である。等伯も牧谿も描いた。近代では横山大観も描いた。多分、日本各地にそれぞれの八景があるはずである。
ただ、我が佐伯市にもそれがあるとは恥ずかしながら知らなかった。佐伯城下に限定の風景ではある。海部郡全体をカバーしている訳では無い。本来の伝承に対し、この地の文人達の独自の選択もある。残念ながら筆者にその地名の多くに心当たりが無い。誠に申し訳なく思う一方で、今のこの地にその様な風景が残されているのだろうかと不安な思いもよぎった。おそらく百年程の昔の時代の八景と思われるからだ。八景は自然があればいいというものでは無い。人の営みと渾然となって想起されるものであるはずだ。
国木田独歩はこの地の自然をこよなく愛した。英語教師として僅か一年の赴任であったが足繁く佐伯地方を隈なく歩き回った。今で言うトレッキングである。その光景の中に素朴に生きる人々の暮らしをみとめ、それが彼の文学の才を刺激した事は間違いない。彼はこの地への赴任前にワーズワースの世界に浸っている。ワーズワースは英国の湖水地方をこよなく愛した詩人である。重ならなかった筈がない。そういう質の高い風景がある。今もあると信じている。
宋迪のテーマに当て嵌めて筆者が今この地にそれを選択するとすれば、城山、番匠川、佐伯湾、これさえあれば容易いことだ。九十九浦と呼ばれる海岸部に行けば更に見事な海の八景を選ぶに難くない。この地は風景に関しては瀟湘に引けを取るものでは断じてない。瀟湘を知っている訳では無いがそう言い切るだけの実感がある。何しろ風光明媚では中国では屈指の浙江省杭州市西湖に何度遊んだか分からない。多少独特ではあるが審美眼がない訳でも無いのだ。
山、川、海、それぞれが、四季の豊かな風景をこの地の人々にもたらす。もっとも人々はこれを愛でているのか、少々心配もない訳では無い。が、それを言う資格は無い。
日本新八景というものもあるそうだ。昔、新聞社が募った。身贔屓投票が多かったそうであるが、識者が投票結果を参考としつつも独自に選んだ。その乖離に各地の身贔屓者たちの憤慨甚だしかったそうである。こういう場合、依怙贔屓、地元贔屓は許されていい。住めば都でもある。
因みに雪舟は豊後府内にも住んだ。狩野永徳も臼杵で宗麟の為に腕を奮った。豊後大友居館には玉澗の瀟湘八景の内の一つ「山姿青嵐図」もあった。宗麟の蒐集による。近代では佐伯の国木田独歩である。豊後は芸術家育成に機会を与えて来た歴史も十分にある。筆者の地元贔屓である。
了