忘れなそ、ふるさとの山河 〜郷土史編〜

地方の精神と国のかたち、都市は地方の接ぎ木である。

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鉄の来歴に想う 中世豊後及び海部郡・郷土史研究用資料(11)

 鉄について語らぬ訳にはいかない。人間の営みを観察する限り無視し得ない対象である。

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 鉄は、農機具への使用は農業生産力を、武器への利用は殺傷能力(戦闘能力)を、飛躍的に高めた。無論、それに留まるものでは無いが、鉄は為政者には国力増強と生活者には多くの利便をもたらした。鉄を制するものは国をも制する、である。

 

 日本の製鉄は弥生時代には既に始まる(製造量は僅かにしても製鉄炉を有していた)。鉄資源は如何にもたらされ、如何に製鉄を可能ならしめたか、については既に周知のところである。古来、鉄は地表から鉄鉱石(赤鉄鉱等)と砂鉄(磁鉄鉱等)とのそれぞれ違う形状で手に入れて来た。酸化鉄が堆積して出来たか、元々岩石に含まれていたものが風化して出来たか、の違いである。

 

 砂鉄には、川砂鉄、浜砂鉄、山砂鉄がある。川砂鉄と浜砂鉄は母岩が風化して水と反応して出来たものであるが、山砂鉄は母岩そのものを砕いて直接抽出したものである。鉄穴流し(かんなながし)という。砂鉄は日本のどこでも採取は可能だが、山砂鉄は出雲地方で大産業として名高い。この地方は「山陰帯花崗岩類」の上に位置し母岩への鉄の含有量が多い。

 

 その前に地球の成り立ちを見る。地球の体積でみると地球は殆ど岩石で出来ている。その岩石を大別すると三種類、橄欖岩(82.3%)、玄武岩(1.62%)、花崗岩(0.68%)である。残りが金属(15.4%)で殆どが鉄である。鉄は隕石により地球に届いた。だから隕鉄という。地球の構造面から観察すると、橄欖岩はマントル玄武岩は海底地殻、花崗岩は陸上地殻、そして鉄は地球の核を構成する。

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 これを元素で見ると、地球には、鉄(35%)、酸素(30%)ケイ素(15%)の順で多い。太陽系のその他の惑星はそれぞれ異なる組成を持つ。太陽への距離に比例して元素組成が異なるからだ。太陽に近い(引力が強い)星は岩石星になり、遠いほどガス星になる。その差は含まれる元素の質量による(軽いか重いかが太陽の引力で左右される)。

 

 さて岩石を形成するのはケイ素である。この元素が丁度、地球が出来る位置当たりに多く集まってきた。よって地球は幸にも人が住める岩石星になった。因みに宇宙そのものでは水素とヘリウムが99%を占める。玄武岩花崗岩も橄欖岩(マグマ)から出来た。海底地殻と陸上地殻で異なる理由は面倒だから省略する。いずれも鉄分を含む。「三つの石で地球がわかる」(藤岡換太郎:Blue Backs)による。

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 何しろ鉄は地球に35%も存在する。太古の、酸素が未だ大気に無かった時代に、陸の風化や雨によって、また海底からのマグマによって海中に鉄イオンが溜まった。その後、光合成を行う原核生物ジアノバクテリアが出現し、その排出酸素が大気に酸素を供給し、海中では鉄イオンと反応し酸化鉄を生成させた。これが沈殿、堆積し縞状鉄鉱床が出来た(27億年前)。日本の地殻は新しいので残念ながらこの鉱床は無い。豪州や米国ではこれを露天掘りする。鉱床の鉄含有率は70%近い。

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 もう一つは火山活動による火成岩に含まれる磁鉄鉱等である。母岩の含有率は3~12%と低い。多くは砂鉄として採取される。日本では主にこれを製鉄原料として利用した。火山国であり各地に火成岩は多い。砂鉄は至るところにあった。それでも古代には吉備地方には鉄鉱石も採れた。日本の最初の鉄の産地になったがその後枯渇、砂鉄に移行した。近くの山陰地方に含有率の高い花崗岩層があった。ここが砂鉄の主産地になっていく。出雲のたたら製鉄で名高い。

 

 たたら製鉄では、砂鉄の二酸化チタン含有量の違いでケラ押し(真砂砂鉄:鋼)、ズク押し(赤目砂鉄:銑鉄)と製造方法が違う。例としてケラ押し一回当たり砂鉄14tに木炭14tで4tの鉄が出来た。内、鋼は30%ほどになる。これが玉鋼となり日本刀の原料になる。年60回ほどの操業となる。1回で1,800haほどの山林伐採が必要となる。各地に産鉄が行われたが、やがて殆ど中国地方と東北(陸奥)地方が担った。品質と産鉄量の多さ、船による物流の発達による。九州では概ね15世紀には消えたようである。以上、「たたら製鉄の歴史」(角田徳幸、吉川弘文館)による。

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火成岩と産鉄地域

 さて豊後である。国東半島は主要な産鉄地域になった。この半島は火山によって出来た。火成岩で覆われている。品質のいい砂鉄が取れた。

 

 国碕は国の先、つまり大和王権にとっての国境地帯であった。豊後の各地の住民は中央から土蜘蛛と蔑称された。憤懣やるかたない。その更に先は隼人である。豊後ではこの国碕(国東)と大分と比多(日田)にまずは国造が置かれ王権の支配力が強められていった。国東には古代仏教が持ち込まれ六郷満山仏教文化が栄えることになる。その後、宇佐に八幡大神が発現し宇佐神宮が中央とも繋がり勢力を拡大していく。中央よりは要の抑えとして紀氏が派遣されてくる。こうして国東は豊後の先進地になっていく。

 

  さて製鉄は土豪権力の強化に貢献したであろう。後に大友氏もこの国東の鉄を頼ることになる。また、この紀氏からは有名な刀匠が出る。定秀、行平である。細川幽斎が持っていた名刀・古今伝授行平は国宝である(そういえば産鉄の活発であった吉備地方にも備前長船がある)。その後も大分郡の高田に多くの刀匠が出た。刀剣分野では高田物といって有名らしい。国東の鉄文化の一端である。因みに豊後の荘園の40%は宇佐神宮系が保有する。同社は日向北部まで及ぶ九州でも最大規模の荘園領主となっていく。これも土豪の内であろう。豊後は国東に始まる、鉄がその先鞭をつけた、とは言い過ぎであろうか。

 

 さて我が佐伯地方である。弥生遺跡から製鉄工房らしきものと鉄滓が出た。この地にも鉄生産があったに違いないと期待する向きもある。鉄滓とは鉄の精錬時に出る不純物である。これに関連して佐伯史学会の先学がその報告で夢を語っている。佐伯地方に産鉄はあったか、あったに違いないと思いたい、という訳である。その痕跡を地名に求めた。それらしきものが多くあちこちに残っているではないかと。一理あるかもしれない。

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佐伯地方の地名にみる産鉄の痕跡

部分的引用であり詳細は「今、佐伯の古代がみえてきた」(佐伯史談会)を参照頂きたい。

 大規模ではないにしろ製鉄の可能性はある。材料となる砂鉄は日本国中どこでも手に入った。しかも佐伯地方には燃料となる木炭(山林)の豊富さでは中国地方にひけをとらない。一方、その地勢の成り立ちを再度振り返ってみると、別資料で詳述したようにこの地は付加体である。火成岩では出来ていない。概ね堆積岩である。砂鉄の品質、採掘量、コストには限りがあったろうと推測出来るのである。この地で当該産業を大規模に経営するか否かは経済性に帰結したのではないだろうか。この地は海の物流はお手の物である。遠く中国地方に安価な鉄を求める方が理屈に適っていたのではないかとも思うのである。

 

 砂鉄は日本刀を生んだ。材料は玉鋼である。純度の高い鋼である。たたらでしか製造出来ない。この品質を現代の技術でも実現出来ないとのことである(肝は製造時と仕上げ時の炭素含有量にある)。よって某金属会社がその為にだけ、たたら製鉄所を運営する。当時の日本の主要な輸出製品は刀剣類である。それだけ海外での人気が高かった。世界に出せば宝刀にもなる。日本の産鉄の白眉ともいえる。

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 佐伯地方にも刀匠はいたはずである。せめて品質のいい砂鉄が手に入っていたら佐伯物も世に囃されていたかもしれない。もっとも日本全国で地元贔屓が同じ夢を見ているに違いない。産鉄とは、かようにも政治的、文化的に重要な位置を占めるのである。

 

 この砂鉄文化、たたら技術が、近代の日本の製鉄王国に繋がっていったと言ってもいいのではなかろうか。鉄が遂に世界を制したのである。