忘れなそ、ふるさとの山河 〜郷土史編〜

地方の精神と国のかたち、都市は地方の接ぎ木である。

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豊国(からくに)と韓国(からくに)のからくり 中世豊後及び海部郡・郷土史研究用資料(13)

 豊国(とよのくに)は律令制以前にあった国名であるが、これを旧訓では”からくに”と呼ぶとの話がある。要は韓国(からくに)と豊国(豊前、豊後)の因縁浅からず、ということなのである。その事実を見てみた。

 

 まあ、九州北部は、朝鮮半島の生活文化をcopy & pasteしたようなところ、というか古来、共通生活文化圏だった訳だから、大和王権とのそれ以上に親和性が高かったのだろうことは推察できる。朝鮮半島三国時代高句麗新羅百済、+伽耶)のそれぞれの建国神話や民間伝承が豊国(豊前、豊後)にも形を変えてそっくり伝わっている事実がある。この地方に多くの渡来人が移住してきたことの証左でもある。渡来氏族は製鉄集団であったことも残っている地名から容易に想像出来る。渡来人、渡来文化は我が豊後佐伯地方まで来たか、については明確には記述できないが、それでも筑前豊前の海人族(安曇、宗像系)と海部郡の海人族との交流を考えれば、寧ろ、可能性は大きいだろう。

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 まずは渡来人と豊後の関係を見てみたいが、宇佐地方ははずせない。その成立が不可思議な宇佐神宮がある。次は豊後大野地方である。この地には朝鮮半島と同根と思われる伝承が多いことと、大野川流域から更に祖母山系に至るまで製鉄氏族の痕跡が残るからである。その下層には海人族の存在も見え隠れする。中々に魅力的な地方なのである。これを下図に大胆に整理してみた。

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 要は宇佐地方には伽耶新羅系の渡来人(秦氏、辛嶋氏)が移住、古新羅仏教を伝え、これに百済伽耶からの八幡神が被さり、土着神と一体となって宇佐神宮秦氏氏神・香春岳神社が元社)がその形を表す。これが大和王権に擦り寄っていく。大和王権にとっても無視出来ない勢力である。一方、宇佐神宮は、その託宣(鍛冶翁が八幡神の発現を導く)からも鍛冶を専らにする祭神、信仰集団であることは明白である。

 

 因みに秦氏の苗字は福岡県と大分県が1,2位を占める。大分市に一番多く、福岡県のうきは市がこれに次ぐ。この筑後地方には東漢氏が移住した。大蔵氏/秋月氏の祖である。秦氏は中央から大神氏が派遣されてくると勢力が落ちる。鹿児島地方に移住して再起をかけた形跡がある。ここでは堂々と韓国岳(カラクニ)と名乗らせている。鹿児島の”カゴ”は、香久山のカグと同じカル(金、銅)に由来するらしい。

 

 さて、百済系の製鉄氏族も渡ってくる。これは鉱脈開発すべく豊後海部郡の臼杵から大野川を遡り祖母山系まで分け入っていく。以前、記載の通り、ここは地質学的には臼杵・八代線が通っていて、それが要因かは分からぬが鉱物資源は確かに多そうである。特に石灰、辰砂(水銀)、マンガン等の鉱脈がある。砂鉄は当然豊富にあったであろう。臼杵の名前は鉱物を擦り潰す臼と杵に由来するとの見方もある。豊後を含む北九州地方には古朝鮮系の地名が多く残っている。製鉄に関する言葉に”たたら”がある。福岡県や山口県には多々良浜の地名がある。いずれも朝鮮半島の製鉄文化が入ってきた痕跡ということである。たたら製鉄のたたらも同根なのであろう。新羅百済、入り乱れての移住地であることは論を待たない。これも下図に示す。

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 さて韓国と豊国が文化を共有する点を民間説話でも見る。製鉄氏族が定住した豊後大野地方には、緒方惟栄父祖伝説(大蛇伝説)と真名野長者伝説(炭焼小五郎伝説)が伝わっている。宇佐地方には宇佐神宮の成立伝承がある(伽耶国始祖・金首露王伝説と同根)。いずれも百済新羅伽耶における伝説、伝承と一致する。またこれらが製鉄由来である点が共通点である。これが大和王権以前の大和地方の大三輪伝説(大神氏)とも関連しているようなのである(詳述せず)。要するに朝鮮半島→豊国→大和、という政治文化の流れがあるように見受けられるのである。邪馬台国松本清張宇佐郡安心院町を比定する)と合わせて、豊国は日本の歴史を考える上でもっと興味を持ってもよい地域なのである。

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松本清張邪馬台国宇佐郡安心院町)

 まずは東アジアに伝わる「蛇婿入り」の話をみる。源流は中国らしい。豊後大神氏は英雄譚で名高い緒方惟栄の五代前の惟基を始祖とする。惟基は姥岳(祖母山)大明神の祭神である大蛇と花の本姫(宇田姫社の祭神)の子だとする。夜な夜な狩衣を着た高貴な若人が姫のもとに通ってくる。何処から来るのかを確かめる為にその狩衣に針に糸(苧環(おだまき)~糸巻)をつけて辿っていくと、祖母岳の岩穴の中に針の刺さった大蛇が生き絶え絶えである。やがて姫がその大蛇の子を成す。これが惟基である。大和の三輪山伝説と同じである(三輪:辿っていくと3つの糸巻が残っていたことに由来する)。豊後大野地方には、他にもいろいろと伝承が残る。姫は卵を3つ産み、これが大神姓の緒方、臼杵、佐伯各氏の祖になるとか、惟基の背中には3つの鱗が生えていたとかである(大神氏の家紋のミツウロコの由縁)。因みに、東南アジアでは大蛇は水神に通じる。実りの神である。

 

 韓国にも百済の始祖伝説としてそっくりな伝承がある。こちらは大蛇ではなくミミズである。いずれも再生力が強い。始祖に神秘性を与え偉大な人物に仕立てる訳である。因みに祖母山は日本書紀には”添山”(そふり=所夫利)と記載されている。所夫利はソウルであり百済の扶余の別称でもある。

 

 次に真名野長者伝説がある。炭焼小五郎の話である。奈良の都に見目麗しいが残念ながら顔に黒い痣がある玉津姫がいる。結婚相手がいないと嘆き悲しんでいると三輪明神のお告げがある(三輪は大神氏であり豊後大神氏との関係がある)。豊後大野地方(三重)に炭焼小五郎という男がいる、これに嫁げば長者になること間違いなし。小五郎は姫が持参した黄金の値打ちが分からない、池に投げ捨てる。曰く、こんなものは池の周りや炭焼き窯の周りにいくらでもある。それで二人は長者になる。姫はこの池で顔を洗うと痣は取れる、小五郎も見違える若者に生まれ変わる。一応、ハッピーエンドである(ただ、その子には悲しい物語が続く)。長者は蓮城寺を建立するが、蓮城寺は百済の仏師による百済観音を祀る。百済からの渡来人が住み着いた傍証であり確証である。

 

 これも百済に同じ話がある。炭焼きではなく、こちらは芋堀の男の話になる。新羅王の娘の善花姫が薯堀男と交わっているとの噂をばら撒き追放された姫はこの男と夫婦となる。そこで姫の持っていた黄金の話となる。こんなものは芋畑にいくらでもあると。こちらも長者になる。薯堀男は、この黄金を新羅王におくり支援を得て自らも百済王になるといった話である。こちらは弥勒寺を建立する。

 

 黄金発見は良質な鉱脈を発見することを象徴する。芋堀も炭焼きも鋳物師、製鉄に通じる。これで財を成した一族の話であるが、製鉄部族が朝鮮から豊後大野に渡ってきてこの地で製鉄を営んだということである。地名に名残もある。

 

 さて、最後は宇佐神宮である。この地(豊前地方)には古新羅仏教が早くから伝来した。渡来人の秦氏、辛嶋(伽羅)氏、がいる。秦氏氏神は香春岳神社であり宇佐神宮の元社である。辛嶋氏は宇佐神宮宮司職の三氏の内の一つである。宇佐神宮八幡神は鍛冶の翁に導かれて発現した。鍛冶の翁は製鉄に通じる。伽耶国は製鉄王国である。これが八幡神を導いたということは伽耶国との関連を示唆する。伽耶国の始祖・金首露王は亀旨峰に降臨した。宇佐神宮の本殿は亀山の上にある。相似である。

 

 八幡神応神天皇で、誉田(ホムタ)天皇ともいわれ、伽耶国から渡来したとも伝承される。ホムタは大牟田であり、百済の東城王の異称「牟大」とも近い。九州にはムタのつく地名も多い。八幡神応神天皇)曰く、「辛国の城に、始めて八流の幡と天降って、吾は日本の神と成れり。」(八幡宇佐宮御託宣集≒金首露王伝説に似る、省略)。

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韓国と大分の伝承譚

 因みに韓国語の発音由来の地名として、他には、串(コッ:岬や海岸)、牟田(ムタ:牟大から)、牟礼(ムレ:小高い丘)、原(バル:ボルから)、などがある。豊後地方の山城には牟礼がつくものが多い。我が佐伯氏の居城、栂牟礼城もそうである。北部九州地方は完全に朝鮮半島の生活文化に染まっているのである。

 

 つまりである。豊国(豊前、豊後)を”からくに(韓国)”と呼んでも何も違和感はないのである。特に、宇佐市豊後大野市はそういう歴史的背景をもっている。豊国は、海人族を遠祖として製鉄部族が混交したその末裔達の地なのである。

 

 我が豊後佐伯地方もその波を受けたことは間違いないと思うが、こちらは確証を準備出来ないのがもどかしい限りである。