忘れなそ、ふるさとの山河 〜郷土史編〜

地方の精神と国のかたち、都市は地方の接ぎ木である。

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独歩が呻く、佐伯で吼える 日々雑感

 国木田独歩、何とも熱くて性急で面倒臭くて側に居たくない男である。

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 独歩は、矢野龍渓経国美談作者、佐伯市出身)より徳富蘇峰国民新聞主宰)に打診があり、その推薦により佐伯に来た。独歩は、私学鶴谷学館(旧佐伯藩主毛利家が郷党の子弟の為に設立)の英語教師として一年に満たぬ赴任期間中、我が佐伯地方を怒涛の如く歩き巡った。

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独歩・佐伯赴任への行跡

 キリスト教に帰依し、英国のワーズワース湖水地方を愛したロマン派詩人/湖水地方ピーターラビットの世界)やカーライル(歴史家)を信奉した。これらに感化され精神が未だ揺れ動いている時期に佐伯に来た。この時23歳。

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徳富蘇峰矢野龍渓ワーズワース、カーライル

 “俺という存在は一体何者なんだ”、と佐伯地方の自然に飛び込み、休む事なくひたすら問い続けるのである。この地で宇宙と自然と自己との関係をとことん追求したのである。兎に角、その精神状態が忙(せわ)しないのである。後半はもう呻(うめ)くというより咆哮しているとしか言い様が無い。「欺かざるの記」、1,100貢中、佐伯滞在時の部分は300貢程度であるが、この部分だけでもう辟易である。その思いの発露が五月蠅くて仕方が無いのである。

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英国 湖水地方

 ただ、佐伯の自然がよくこれを受け止めた。独歩が嵌(はま)ったのである。この相互関係が、独歩のその後の作家人生の骨格を成した事は間違い無い。

 

 夏目漱石も概ね同じ年代(漱石1867、独歩1871生まれ) 、同じ時期(漱石1895-、独歩1893-)に対岸の四国の松山に英語教師として赴任している。こちらも一年程の赴任であるが、作家人生へのその赴任地による影響度は段違いに独歩に強いと言わざるを得ない。世間の印象においては漱石は明るく独歩は暗い。だが独歩はエネルギー満ち溢れ、ひたすら熱い人であった点は念押ししておきたい。面倒臭くても愛すべき人間である。月給は漱石80円、独歩25円、それでも独歩は佐伯で2番目の高級取りであった。独歩にとっては最早小さな事である。彼にとっての佐伯地方の価値は計り知れなかったのである。

 

 独歩、その煩悶には触れぬ。その思想は語らぬ。「欺かざるの記」を読めば直球が飛んでくる。

 

 ここは独歩が嵌まった佐伯の自然についてだけ見てみたい。筆者は先に暫定的として佐伯八景を挙げた(佐伯と瀟湘八景)。あらためて独歩の表現に心動いてしまった風景がある。元越山と葛港(佐伯港)である。番匠川の描写も多いが感動はやや落ちるので省く。城山は既にその普遍的な叙述を誰しもが認めるところである。下図は独歩が実質8カ月の間に佐伯地方を歩き廻ったおおよその行跡である。

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独歩の佐伯地方での行跡

木立川から元越山への行跡:

 「山嶺に達したる時は四囲の光景餘りに美に、餘りに大に、餘りに全きが為、感激して涙下らんとしぬ。只名状し難き鼓動の心底に激せるを見る也。太平洋は東にひらき、北に四国の地、手に取るが如く潮の如く其の壮観無類なり。最後の煙山遂に天外の雲に入るが如きに至りては、人をして一種のメランコリーの情あらしむ。」

 「雲の美や、空の美や、山の美や、海の美や、ああ此地球上の美は己に完き也。」

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元越山からの眺め

「回想すれば、一昨日の遠行は一個の詩なり。美しい哉自然、而してその間に多くの此自然と調和する人間を見たり。老樵夫、老船頭、多くの農夫、皆な美しき配合を想像の裡に形づくる也。」

「美なるは元越山の水蒸気なり。木立山の水蒸気なり。或る時は全山焔の如く燃え、或る時は一道の火花、谷の陰より立登り、ある時は山の半腹の破裂せる如く火焔を吐き、怪物の如く、天宮の如く、変幻満状真に美観なり。」

 

佐伯湾(警報竿の丘からの眺め):

 「ふと大入島の方を顧みたり。島と陸とによりてかこまれたる海面、湖水の如し。湖面寂々たり。島端を晩色のうちにかくす。ただ見る、大入島の横に当たりて遠く、江峰の一塊、突として立つを見る。只言うべからず、筆記すべからず。これ壮麗にして幽冥なる自然の、人しれず其の秘密の美をもらす也。吾之を弟(目へん)視して眼に一滴の涙をもって立ちぬ。」

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佐伯湾遠望

 

「磯にさざめく小波の、月に照り栄ゆる亦た美し。乗り捨てし小舟の舷辺に月の光の落ちたるあり。島々の影黒く海面に映じて其の暗き処、波、光にくだけて錦の漂ふに似たり。」

 


城山(佐伯城址):

 

 「眼下に見下ろす佐伯市街、山々に輝く落渾(口へん)、河流、空色、遠海、四国地の煙山、或いは山谷の集落、或いは岸辺の孤帆。悉く吾をして大なる自然、美なる自然と、人生とを聯感せしむるの種ならぬはなし。吾をして人類を思わしむ。」

「大空の蒼々たる、遠山の紫煙を帯ぶる、近郊の青麦を敷ける、村落の山麓破堤に割掾せる、若し夫れ、四国地の方にふり向けば、波浪、白帆、島嶼の美なる、或いは樹梢に幽禽の鳴く、或いは風と光とが、灌木の枯葉みたる繁に交錯せる、凡て吾が懐に入らぬはなし。然り、実に然り、吾とは実に何ぞや。」


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 「佐伯の春先ず城山に来たり、秋又早く城山に来たり、冬はうそ寒き風の音を先ず城山の林にきく也。城山寂たる時、佐伯寂たり。城山鳴る時、佐伯鳴る。佐伯は城山のものなればなり。城山は遠く佐伯を囲む諸山に比すれば、近く佐伯に望む孤立の小さき山に過ぎず。而も此の山ありて此の城市生い立ちし也。」

 

 さて、ワーズワースの愛した湖水地方を独歩は知らない。その風景を見てはいない。佐伯地方の風景とは全く相違する。後年、独歩が通った武蔵野の風景もそれぞれとは全く相違する。だがそれは問題では無い。自然と精神との関わりの問題である。それが精神の琴線を打つかどうかの問題である。

 

 精神を揺さぶるだけの神聖で清透で悠久の宇宙の営みを想起させてくれるものであるか否か、ありふれた日常ではあるが、そこに人々が調和的に生きていることの厳かな光景があるか否か、が重要なのである。

 

 独歩が結論した自然と人間とが調和して生きる理想は都会での生活で打ちひしがれてしまったが、それでも独歩は終生佐伯での生活を愛し懐かしんだに相違ない。 “春の鳥”や”源おじ”や”鹿狩り”や”小春”や、その他多くの作品の元になる豊かな材料を提供してくれたのが佐伯地方の光景だったのである。

 

 佐伯地方はその精神を形成してくれた独歩にとっての日本のワーズワースにしてカーライルであったのだ。