忘れなそ、ふるさとの山河 〜郷土史編〜

地方の精神と国のかたち、都市は地方の接ぎ木である。

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帰りたい夏、帰れない夏

 八月は人々にとっては色々な意味でもっとも熱い月だが、反面、寂しい月でもある。ここは新暦の八月葉月の事である。盆には親類縁者が集いご先祖様も帰ってくる。だがこの時期を境に人々の心情は暑い気運から寂しい気運へと転じていく。人々やご先祖様が帰っていく。

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 同様にこの時期を境に子等や学生にとっても楽しい夏休みや見知らぬ土地への旅が終わりに近づく。ひょっとして恋の終わりもこの頃かもしれない。寂しさ切なさは耐え難い事であろう。蜩(ひぐらし)が追い討ちをかける様に鳴く。蝉の中でもっとも寂しく切なく鳴く。八月葉月、積乱雲も勢いを失くす。

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 人々の賑わいはピークを迎え、寂寥感が忍び寄ってくる。やがて秋風が立ち人々は熱い夏に後ろ髪を引かれつつ気持ちを切り替えて行く。八月は、そういう日本中に同じ心情を抱かせる珍しい月なのではないかと思う。ただ、昨今、この心情に季節感が合わなくなってきた。

 この時期はまた昼の時間も長くなって人々の気持ちを前向きにしてくれる。実際は夏至を迎える六月下旬がそれが最も長い事に人々は多分気づこうとしない。梅雨の時期で日照時間も少ないからであろう。これを境に日に日に確実に夜の時間が歩を早め、天は人々に寂寥感をもたらす準備を既にここから始めているのである。

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 訪れた欧州の多くの国や住んでいたニューヨークでは八月はもう季節は初秋だ。陽射しが急に弱くなって肌寒くなる。早ければ六月から八月、九月までの長いバケーションが始まるが、人々の夏の賑わいは七月がピークだ。欧米に盆は無い。日本人のような墓参の習慣も無い。だから彼らには八月に特別の感情は湧かない。蛇足ながら、キリスト教では墓は死者が最後の審判を待つ場所に過ぎない。火葬では審判を受ける事が出来ない。土葬はそういう背景による。そこに生者との繋がりは一切無い。だから墓参の必要性がない。仏教では魂は輪廻する。死者と生者は交流する。彼岸と此岸は繋がっている。その場所が墓である。だから墓参をして対話する。

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 さて、欧米では緯度と夏時間の関係で昼がやたらに長い。ニューヨークでは八月でも日没時間は午後八時過ぎで九時過ぎまでは十分に明るい。因みに東京の夏至の日没時間は七時過ぎであるが、盆の頃には六時半前後になる。だからニューヨークや欧州の方が昼が長い分、夏の気分も長く続く。バケーションも未だ続いている。盆が無いのが決定的とは言わないが、日本のように”心情的な夏の終わり”が訪れる事はない。元々そういう季節の情感は彼らには欠落しているのではあるが。日本人は一様に夏の終わりをここで共有する。

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 筆者にとっても今年は特に暑い夏である。コロナの影響で帰省も墓参もこの二年間、叶わない。故郷にとってもコロナ渦中の県外からは帰省して欲しくない。だからこの二年間、”心情的な夏の終わり”が訪れないことになる。日本人に戻れない。

 友人が何かの話題のついでに10年ほど前の高校の同窓会の集合写真をメールしてきた。日本全国、どこでも同窓会はきまって盆の頃になる。熱い夏にふと共通の思い出を語りたかったに過ぎないのだろうが愕然とした。既に半世紀が過ぎている。更新された同窓会名簿も手元にあるにはあるが誰が誰やらさっぱり見分けがつかないのだ。皮肉にもその事で会話が盛り上がった。

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 年甲斐もなく、荒井由実の低音で淡々とした”卒業写真”を流してみても、山本潤子(何故かこの歌手が好きだ)の高音で清澄な”卒業写真”でさえも、最早、そのギャップを埋めてはくれないのである。

 笑顔溢れる写真に恨みがある訳では無いが、裏返せば自分もそういう姿になっているという傍証でもある。多分誰も気付いてくれないという絶望感でもある。同窓に会う機会を半世紀失して来たことの報いでもあろう。偶(たま)に邂逅し共に歳を重ねて来ていれば脳は若かりし頃のイメージで脚色してくれる。”お前は昔も今もあまり変わらないな”、と本来、相互確認して来たはずなのである。半世紀の音沙汰無しでは、脳は、最早、脚色してはくれない。そういう暑い夏を繰り返して久しい。物故者も増えた。

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 八月は人々に否応なく何かを押し付けてくる。特別な月なのである。八月葉月、せめてこの月だけでも日本人に戻ろう。懐かしい日本人に戻ろう。

 帰りたい夏、帰れない夏。