忘れなそ、ふるさとの山河 〜郷土史編〜

地方の精神と国のかたち、都市は地方の接ぎ木である。

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夢の行方

 I have a dream.

 一見、普通に使えば何の変哲もない文なのだが、よくよく考えると意味深いものになってしまう。アメリカの公民権運動(黒人解放運動)の指導者マーティン・ルーサー・キング牧師の誰もが知る1963年のリンカーン記念堂での演説中の名文句だからである。これを意識した途端、人前で「私には夢がある」、と言うのに気後れしてしまう。気恥ずかしくなってしまう。牧師の夢の到達点が尋常ならざる高さにあるからである。だからと言って今更自分の夢を変える訳にもいかない。

 それは百年前のリンカーンの「ゲティスバーグ演説(人民の人民による人民の為の政治)」に比肩する名演説になった。ただ牧師は皮肉にもそれに対してこうも言う。「不渡りになった約束手形の換金を要求するためにここに来た」。

 「私には夢がある」、牧師によるあの名文句が繰り返される部分は演説原稿には無い即興である。その時、牧師に神が降臨したに違いない。咄嗟にそんな人の心を震わせる感動的な言葉が出て来る筈がない。確固として正義を貫き通し行動していると神が顕現するのである。だからこそ参加者もその演説に霊性を覚えたのである。

 “私には夢がある。それは、いつの日か、この国が立ち上がり、「すべての人間は平等に作られているということは、自明の真実であると考える」というこの国の信条を、真の意味で実現させるという夢である。”

 

 “私には夢がある。それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である。”

 

 牧師はその行動の故に39歳の時に暗殺されたが、その歳にして実に多くの名言を残している。その言葉は、時期が時期だけにウクライナ紛争におけるプーチン、ゼレンスキー両大統領の行動に重なってくる。

 “自由は決して圧制者の方から自発的に与えられることはない。しいたげられている者が要求しなくてはならない。”

 “黙って服従することは、しばしば安易な道ではあるが、決して道徳的な道ではないのだ。それは臆病者の道なのだ。”

 “人間はだれでも、創造的な利他主義という光の道を歩むのか、それとも破壊的な利己主義という闇の道を歩むのか決断しなければならない。”

 “嘘は、生き続けることなどできない。”

 一方、我々自身もその当事者である事を思い知らされる。こちらの方がより耳に痛い。

 “最大の悲劇は、悪人の圧制や残酷さではなく、善人の沈黙である。”

 “悪を仕方ないと受け入れる人は、悪の一部となる。悪に抵抗しない人は、実は悪に協力しているのだ。”

 “問題になっていることに沈黙するようになったとき、我々の命は終わりに向かい始める。”

 “人は「発言する」ことにのみならず、「発言しない」ということにも責任を持たなければならない。”

 “地獄の一番熱い場所は、重大な倫理上の争いの中にあって中立の立場を取り続ける人間のために用意されている。”

 

 牧師の人生最後の演説も意味が深い。まるでモーゼの発言のようである。牧師はその翌日に暗殺された。モーゼ同様に約束の地には行けなかった。

 “前途に困難な日々が待っている。でも、もうどうでもいい。私は山の頂上に登って来たのだから。私も長生きがしたい。長生きをするのも悪くないが、今の私にはどうでもいい。神は私が山に登るのを許され、私は頂上から約束の地を見た。私は皆さんと一緒に行けないかもしれない。だが、ひとつの民として私たちはきっと約束の地に行けるだろう。今夜、私は幸せだ。心配は何もない。誰をも恐れていない。神の再臨の栄光をこの目でみたのだから。”

 牧師はついに最終到達点に立ち約束の地を見た。自らを犠牲にする事で叶う崇高な夢もある。残念ながらアメリカ建国理念に根差した牧師の夢は今もって実現していない。この世には悪夢もまた存在するのである。1963年、リンカーン奴隷解放演説の百周年記念の年、牧師がリンカーン記念堂で名演説を行った同じ年に、ケネディ大統領が暗殺された。彼もまた大統領就任演説で国民に霊性を覚えさせた一人である。「あなたの国があなたのために何ができるかを問うのではなく、あなたがあなたの国のために何ができるのかを問うてほしい」。

 果たして、プーチン、ゼレンスキー両大統領はどのような約束の地を見、人々をそこに導く事になるのだろう。奇しくもゼレンスキー大統領は米国議会の演説で牧師のこの名言を引用した。よもや牧師と同じ運命を思った訳では無いだろうが、果たしてその夢とは何だったのだろう。同時にプーチンは夢を持たないのではないだろうかとふと思ったのである。それは悲劇的なことである。奇しくもキューバ危機時、プーチンの先輩であるフルシチョフ書記長の示した指導者としての理性に対し、ケネディ大統領は尊敬の念を抱いた。「なにが自国の利益で、なにが人類の利益かを、フルシチョフは適切に判断した」からである。

  人はそれぞれ夢と希望を持って生きなければならない。それが生きる意味だからである。浅き夢かもしれぬが、「私にも夢がある」、と私自身も言いたかったのである。

 I have a dream too.

   出所:American Center Japan、The Sense of oh !、癒しツアー