忘れなそ、ふるさとの山河 〜郷土史編〜

地方の精神と国のかたち、都市は地方の接ぎ木である。

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神様仏様 Y2-03

 中国の文化大革命(1966年から10年間続いた)は中国五千年の貴重な文化財を悉く破壊してしまった。革命とはかくも下劣な事をする。それだけならまだしも文革による犠牲者(死者)は40万人あるいは2千万人は下らないとまで言われる。毛沢東の政治的意図を盲信的に実行する狂信的な紅衛兵による弾圧、殺戮は手がつけられなかった。

 最近ではタリバンによるバーミアンの石窟遺跡の破壊がある。狂信というものは民衆側ではなく権力側に発生の基があるということを肝に銘じておかねばならない。

 皮肉な事に中国の文化財の多くは文革前の国共内戦蒋介石の国民党が台湾に持ち去っていた為難を逃れたという幸運もある。中国各地には今でも当時のままの歴史遺跡は殆ど残っておらず、例え復元していても安っぽさを拭えない。旅の詩情も台無しで再訪する気にもなれないのである。

 さて、日本もこれを笑えたものではない。明治維新である。同じような事をやっている。”神仏分離”政策である。王政復興、祭政一致を目的に神道の国教化が進められ、神社から仏教的な要素を一切排除する挙に出た。7世紀に仏教が伝来し江戸期まで一千年続いた仏教の国教政策、”神仏習合”文化からの大転換である。

 このため明治政府が意図した訳では無いが、結果的に”廃仏毀釈”(仏を廃し釈迦の教えを壊す)が全国に広がって手が付けられない状況となった。民衆が紅衛兵化したようなものである。こちらはそれなりに理解出来ぬものでもない。それまでの仏教界に対する民衆の不満(寺請制度、檀家制度等)が爆発したという訳である。全国の寺院の半数が消滅あるいは小規模化してしまった。

 これを機に仏門に虐げられてきた神道関係者らがこの運動を主導した側面もある。1868年、比叡山延暦寺傘下にあった日吉社の神官らが仏教色を一掃すべく社殿に乱入し仏像、仏具を破壊し日吉大社として独立の挙に出た。これが廃仏毀釈が全国に広がる発端となったといわれる。

 石上神社の神宮寺であった永久寺は破却され地上から完全に消滅してしまった。この寺は12世紀に創建され東大寺興福寺法隆寺に次ぐ名刹で国宝級の文化財が多々あったはずである。

 その興福寺も破壊され規模が極度に縮小してしまった。鹿児島県では一千社以上あった寺院の領地は没収廃寺となり三千人の僧侶が還俗した。今でもこの県には寺社が少なく仏教文化財も殆ど残っていないそうである。

 この時、仏教美術の多くは海外に流失した(救出されたというべきかもしれない)。またフェノロサに対しては文化財保護の為にいい仕事をしてくれたと感謝しなければならない。

 さて神社側も大変である。仏教的祭神を祀っているものはその祭神の名称を神道式に変えざるを得ない滑稽な事も起こった。八坂神社もその一つである。神仏分離前は主祭神牛頭天王であり薬師如来本地仏としていたが神道式に素戔嗚尊(スサノヲノミコト)に変更してしまった。日光東照宮も同じような問題に直面した(東照宮二荒山神社輪王寺の二社一寺に分立)。

 流石に出雲大社は早くから境内に仏塔があるのを憚った。江戸初期に移譲している。今は名草神社(元は日光院)に三重塔として残っているが神仏分離の影響で仏舎利のない塔となっている。鳥居のある寺院、仏塔のある神社はそれらを取り壊すか何処かに移転させるしかなかったのである。

 優位に立ったと思われた神道界にも想定外の出来事が降りかかってきた。”神社合祀”政策である。神社の廃止あるいは合併政策で一町村に一社を目標にそれまであった19万社の神社は12万社へと7万社が廃止されてしまった。三重県では9割の神社が廃止されたという。神社は国家管理になっていたから要は合理化である。

 これら宗教界の混乱と痛みは仕方がない。自ら蒔いた種でもある。最大の影響は民衆の間に根付いて来た宗教文化や伝統行事の混乱であり民俗の破壊であり精神面への甚大な負担であろう。先祖代々”神様仏様”と何かにつけ心のよりどころとして神仏を拝んで来たのである。その一切否定なのであるから。

 これらの出来事はつい百年前の事なのである。その時点で連綿と続いてきた宗教民俗の歴史などはとうに喪失してしまっている事に気付いた上で神仏に手を合わせなければならない。歴史とは突然、何かの節目で矯正されているのである。何事も盲信は為にならない。

 さて頭の痛いことであるが一般的に文化財の主たる破壊者はそこに共にある人々なのである。自らが手を下している訳ではないが、知らず見逃し結果的に放置破壊を生じさせているのである。地域の文化財は誰知ることなく今も消滅し続けている。これを阻止する最も有効な方法は人々が地域の歴史文化を愛すること以外に断じてない。