忘れなそ、ふるさとの山河 〜郷土史編〜

地方の精神と国のかたち、都市は地方の接ぎ木である。

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逝きし世の面影と豊後の国佐伯 Y2-13

 「少年の頃、私は江戸時代に生まれなくてよかったと本気で思っていた。だが今では、江戸時代に生まれて一生を過ごした方が、自分は人間として今よりまともであれただろうと心底信じている。」

   

 昨年亡くなった、名著「逝きし世の面影」の著者渡辺京二の言葉である。この本を再読した。きっかけは故郷「豊後の国佐伯」を巡り歩き、この地を愛した国木田独歩の想いが重なってきたことにある。何故にそれほどまでに佐伯地方の自然と人々が独歩を魅了したのか、何故に独歩にとってこの地無くして信奉するワーズワース理解はありえなかったのか、考えた。ワーズワースは工業化を突き進む英国の自然の相貌の変化を憂い、自然に絶対的価値を見出した人であり、独歩は自己の生存を感じるのは自然こそ必要だと考えた人である。物質的豊かさと精神的豊かさの何れに価値を置くかということでもあろう。

 その時、何だかこの本を読み返したいと思ったのである。独歩は、巡り歩いた佐伯地方のことを思い出すと「懐かしくて涙がこぼれるような」気がした。筆者は、この本を再読して、あの当時に生きた日本人を想い、ページを繰る度に涙がこぼれた。我々が失くしてしまった大切なもの、未だその残照が微かに消えずにどこかに残っているのではないか、そういう想いに襲われた。

 渡辺京二は、この本で近代以前において世界の中で最高水準に到達していたと世界が認めた文明の存在を書き記した。「18世紀初頭に確立し、19世紀を通じて存続した古い日本の生活様式」であり、徳川(江戸)文明とも俗称される。

 「地上で天国あるいは極楽にもっとも近づいている国だ。その景色は妖精のように優美で、その美術は絶妙であり、その神のようにやさしい性質はさらに美しく、その魅力的な態度、その礼儀正しさは、謙譲であるが卑屈に堕することなく、精巧であるが飾ることもない。これこそ日本を、人生を生甲斐あらしめるほとんどすべてのことにおいて、あらゆる他国より一段と高い地位に置くものである。」(アーノルド)、来訪した外国人の賞賛と驚嘆の言葉はこれにとどまることがない(別掲)。

 その文明は日本が近代に移行するとともに滅んでしまった。それを培った「日本人の心性」も滅んでしまった。諸相に現れるその心性の発露が何とも感動的なのである。そういう日本人が生きていた時代、そういう文明に生きた日本人が愛しくてならなくなってくる。失くしてしまったもの、大切なものを作り上げた人々のことを思うと素直に感動し涙せざるを得ない。

 滅びてしまったものを取り戻そうと言いたいのではない。そこにあった心性を理解することが今を生きる意味を考える為に大切なように思う。イザベラ・バード(日本奥地紀行)、モース(日本その日その日)、フォーチュン(幕末日本探訪記)等、既に読んではいたが、この本はかつて「日本に存在した心性」について圧倒的な説得力をもって迫ってくる。

 独歩の「豊後の国佐伯」に戻る。極論を否めないが、独歩にとって、「豊後の国佐伯」は、近代を生きる外国人を虜にして止まなかった既に滅びしてしまったそういう文明、近代以前の日本のような位置付けではなかったか。何より「一つの個性をもった素朴で絵のように美しい地方」であったことは間違いない。僻地性故に静かに取り残された独自世界を思う。勿論、そこに住む人々には取り残されたという意識はない。「人生の意義は名声や栄達を求めることにはない。四季の景物、循環する生命のコスモスのうちにおのれが組み込まれることによって完結する生、それをよしとした」人々であったのではないか。この地方に培われてきたそういう心性を思うのである。それが独歩を感動させたことは間違いない。

 今ある急ぎ過ぎる文明、それは多くの人々を精神的に生き辛くさせ始めている文明ではないか。当時、徳川文明に遭遇した欧米人が、「いまや私がいとしさを覚え始めている国よ。この進歩はほんとうにお前のための文明なのか。おお、神よ、この情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な悪徳をもちこもうとしているように思われてならない。」(ヒュースケン)、「あなたがたの文明は、競い合う諸国家の衝突と騒動のただ中に住むわれわれに対して、命をよみがえらせるようなやすらぎと満足を授けてくれる美しい特質をはぐくんできたのです。私はこれまでにないほど、わがヨーロッパの生活の騒々しさと粗野さとから救われた気がしているのです。」(アーノルド)、と言わしめたように、当時においてさえ当事者である欧米人が近代物質文明に対して懐疑心を抱いていたのである。

 渡辺京二が、「江戸時代に生まれて一生を過ごした方が、自分は人間として今よりまともであれただろう」と言った事が分るような気がする。

 自分の眼底には彼地の山岳、河流、渓谷、緑野、森林悉く鮮明に残っていて、我故郷の風物よりも数倍の色彩を放っている。僕は此の詩集(ワーズワース詩集)を懐にし、佐伯の山野を歩き散らかしたが、僕は今もその時の事を思い出すと何だか懐かしくて涙がこぼれるような気がするよ。自然を思ひ、人間を思ひ、人類の歴史を思ひ、人の生活を思う。思うて止む能わず。嗚呼思うて止む能わず。美しい哉自然、而してその間に多くの此自然と調和する人間を見たり。皆な美しき配合を想像の裡に形づくる也。独歩がそう称賛し感嘆した佐伯地方が重なってこないだろうか。

 佐伯地方は、自然と人間との関係性を気付かせてくれるに相応しい、また、未だ逝きし世の残照が残っている地でもあるのではなかろうか。独歩がそう言わせるのである。

(写真、図出所)長崎大学付属図書館幕末明治期日本古写真データベース

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