9月14日以来、およそ2カ月間、ブログを更新していない。故あって10月より故郷に帰省中である。そのついでに「地元の自然と歴史について再検証」をやっている事がその理由の一つである。これまでにブログにアップしたテーマの実地検分ということであるが、こ…
日豊(日向・豊後)の境界線にある陸地(かちじ)峠から望む可愛岳(えのはだけ:728m)の夕景である。その麓に官軍との最後の戦い、「和田越の決戦」に敗れた西郷隆盛が逃れ宿営した長井の地がある。ここで隆盛は全軍の解散布告を出す。豊後での西南戦争が…
もののけ(物の怪)とは未だその正体が分からない段階の霊魂のことを言うらしい。昔は病気の原因はすべてもののけが原因と信じられてきたことは周知の通りである。疫病だけは神による病でこれはお祓いや禊で退散してもらった。 人間は身体と霊魂で出来ていて…
佐伯地方は山が蝟集している。山は海に達しリアス式海岸を造形している。その地勢は耕作地に乏しい地であった事を示す。生きるにはとても厳しい。ただ海を介しての外部との交流だけは古くより活発であった。 一方、土地が限られているとは言え人々はこの海岸…
既成事実とか実効支配とかになってしまうとその原状回復は殆ど不可能に近い。 1600年、関ヶ原合戦の半年後に豊後にオランダ船リーフデ号が漂着した。乗船していたウィリアム・アダムズ(三浦按針)、ヤン・ヨーステン(耶揚子)は徳川家康の外交顧問としてそ…
日本では、7世紀、律令時代に定められた60余国(令制国/旧国)が概ね現在も行政体として地理区分として継承されている。都道府県境が当時と変わっていない。つまり1,300年間、これの総体としての日本の国境も大きくは変わっていない事を意味する(例外的に周…
豊後佐伯地方(旧南海部郡)では山に登ればどの山からも豊後水道とその向こうの四国の見事な眺望が容易く手に入る。16世紀末の最後の国人領主佐伯惟定も、その後に入封して来た毛利高政も、それぞれの山城から同じ光景を眺めた。海に出よう、海で生きよう、…