忘れなそ、ふるさとの山河 〜郷土史編〜

地方の精神と国のかたち、都市は地方の接ぎ木である。

“豊後のロレンス”のブログを訪問頂きありがとうございます。 望郷の念止み難く、豊後及び佐伯地方の郷土史研究と銘打って日々の想いを綴っております。たまには別館ブログ(リンク先)でcoffee breakしてみて下さい。読者になって頂ければ励みになります。

”若き"Bungologistの悩み

「あの人が私を愛してから、自分が自分にとってどれほど価値あるものになったことだろう。」、「われわれの本性は怠惰へと傾いている。だが、われわれは活動へと心を励ます限り、その活動の真の悦びを感ずる。」(”若きウェルテルの悩み”、live the way) 昨…

里の記憶、SOGs75

産土神に帰省の挨拶でもしようかと長く傾斜のきつい石段の参道を登った。「白山神社」はいつ訪れても神々しい雰囲気を醸し出している。昔は鬱蒼とした森の中に佇んでいたが周辺の森が伐採されて今はやや神々しさも薄れた感があるが、それでも苔むした拝殿前…

笑わない佐伯の歴史6、大神惟基

1.からむし 苧(お)、苧麻(ちょま)、青苧(あおそ)などと書く。イラクサ科の植物で繊維(靭皮繊維)が採れる。有史以前、縄文時代の頃から利用されてきた日本でも代表的な植物繊維である。現在でも越後上布や小千谷縮の材料などに使われている。 大和…

笑わない佐伯の歴史5、王朝時代の佐伯の主都

1.中心地 古来、族長や首長が住む場所はその生活圏の中のもっとも恵まれた地(食料生産、諸資源、物流等)であったろう。防御に優れる地であれば尚良い。そういう場所が国や地域や集落の中心地に選ばれて来たはずである。もっとも古代王権はその中心地を頻…

笑わない佐伯の歴史4、佐伯の名称の起源

1.古代佐伯氏の職掌 「佐伯」の名前は545年に「佐伯連」として初出する(第三十代敏達天皇時代)。古代、佐伯氏は大伴氏に連なる朝廷に仕える軍事氏族であった。大伴家持の「海行かば水漬く屍、山行かば草生す屍、大王の辺にこそ死なめ」は大伴・佐伯両氏…

笑わない佐伯の歴史3、海部に関する考察

1.海士と海女と海人と海部と白水郎 いずれも「あま」と呼ぶ。海士は男性の”あま”、白水は水に潜って獲物を採るのが上手な人がいた中国の揚子江流域の地名、白水郎はその人々のことをいう。いつしか日本列島に到達したのであろう。国籍など無用の海に生きる…

笑わない佐伯の歴史2、熊襲征伐と佐伯地方

1.景行天皇、豊後に上陸す 日本書紀中の景行天皇(第十二代、実在不詳)の事績を記した部分を「景行記」という。ここに九州遠征(熊襲征伐)の記述がある。「熊襲」は東北の蝦夷同様に九州南部に住んでいた大和王権に従わない勢力である。 景行記の豊後に…