忘れなそ、ふるさとの山河 〜郷土史編〜

地方の精神と国のかたち、都市は地方の接ぎ木である。

“豊後のロレンス”のブログを訪問頂きありがとうございます。 望郷の念止み難く、豊後及び佐伯地方の郷土史研究と銘打って日々の想いを綴っております。たまには別館ブログ(リンク先)でcoffee breakしてみて下さい。読者になって頂ければ励みになります。

禍福は糾える縄の如し 中世豊後及び海部郡・郷土史研究用資料(23)

歴史には運命の不思議がある。運命の皮肉もある。それぞれの運命の糸が紡がれていく。 豊後大友吉統、土佐長宗我部元親、薩摩島津義弘、伊予来島通総については後述するとして、まずは豊後佐伯地方を治めた佐伯氏とその後の毛利氏を見る。豊後大神姓佐伯氏の…

宗教勢力と世俗化と文化と 中世豊後及び海部郡・郷土史研究用資料(22)

律令体制下においては土地と人民は国家のものであった(=国領)。それぞれの国には朝廷から国司を派遣し支配した。土地からは年貢を取り、人には公事を課す。その国司の差配次第で搾取の動向も変わった。さて、やがて朝廷(国家)側に、税収拡大の為の新田開…

キリシタン大名はつらい 中世豊後及び海部郡・郷土史研究用資料(21)

戦国時代、日本にキリシタン大名が続出したのは何故なのだろう。諸説聞くが腑に落ちるものに出会えていない。1549年のイエズス会のザビエルの鹿児島上陸から1614年の家康の禁教令までの期間である。 キリシタン大名:高山右近 16世紀、欧州のキリスト教界に…

隠れキリシタン、隠しキリシタン、しかとキリシタン 中世豊後及び海部郡・郷土史研究用資料(20)

日本政府(明治政府)が法律上正式にキリスト教の活動を認めたのは1899年である(神仏道以外の宣教宣布並堂宇会堂に関する規定)。 日本に初めてキリスト教がもたらされたのは、1549年のザビエルの鹿児島上陸からである。江戸幕府の1614年の禁教令までが最初の…

戦国合戦、そうは人を殺せない 中世豊後及び海部郡・郷土史研究用資料(19)

戦争における白兵戦において殺生(殺人)する事に関する興味深い考察がある。 その前に、戦国時代、それぞれの地域でよくもこれだけの合戦を数年おきに、ひどい時は毎年、やったものだと驚くばかりであるが、合戦におけるその兵員数や戦死者数に疑問を抱くこ…

島津、豊後蹂躙図とリーダーシップ 中世豊後及び海部郡・郷土史研究用資料(18)

これほどまでに自国を他国に蹂躙された例を知らない。1586年の島津氏による豊後進攻である。 下図は島津の豊後進攻直前の豊後領国内の攻城戦に向けた主要な武将の配置図である。島津のその支配勢力地からの膨大な調達兵力(約40,000人)に比較し、大友には既…

積年の恨み骨髄に徹す 中世豊後及び海部郡・郷土史研究用資料(17)

薩長土肥という。倒幕雄藩である。いずれも徳川への恨みは深い。ただ肥前と土佐は少々背景を異にする。幸いにも徳川治世の260年間、いずれの家も改易、転封を受けていない。一所で力を蓄えるに十分過ぎる歳月である。薩摩と長州には徳川に対等の意識が強い。…