忘れなそ、ふるさとの山河 〜郷土史編〜

地方の精神と国のかたち、都市は地方の接ぎ木である。

“豊後のロレンス”のブログを訪問頂きありがとうございます。 望郷の念止み難く、豊後及び佐伯地方の郷土史研究と銘打って日々の想いを綴っております。たまには別館ブログ(リンク先)でcoffee breakしてみて下さい。読者になって頂ければ励みになります。

2022-02-01から1ヶ月間の記事一覧

"くるすば”で迷走 完結編 中世豊後及び海部郡・郷土史研究用資料(45)

奥州の古代史を概観すると下図の通りとなる。安倍氏、清原氏、藤原氏が朝廷と鎌倉幕府に滅ぼされた。高橋克彦の奥州三部作を読めばその哀感漂う滅びの歴史ドラマが切々と胸に迫って来る。お薦めである。 さて、柴田郡柴田氏の遥か筑前国への移住の理由を探ら…

"くるすば"で迷走 続編 中世豊後及び海部郡・郷土史研究用資料(44)

前回、柴田姓のルーツ探しは宇佐地方まで来て行き詰まってしまった。この地方(宇佐神宮のある豊前)には柴田姓も田部姓(土持氏の祖)も極めて少ない。手掛かりがない。よってこの線は一旦放置しておく(下図に整理)。 あらためて九州最多の柴田姓が集住す…

"くるすば"で迷走 後編 中世豊後及び海部郡・郷土史研究用資料(43)

全国の柴田姓の集住地について整理しておく。九州では福岡県に圧倒的に多く、中でも糸島半島周辺に集住する。大分県では佐伯市が最多数であり、中でも本匠地区に集住する。そもそも柴田氏の祖は九州には無い。奥州の柴田氏、あるいは尾張の斯波氏が主流であ…

"くるすば"で迷走 前編 中世豊後及び海部郡・郷土史研究用資料(42)

筆者の生まれた山間の村落(豊後国・海部郡・旧中野村支郷三股村)の目の前で佐伯地方最大の河川・番匠川に”久留須川”が合流している。また、この村落には大分県で最も”柴田姓”の人数が多く集住している。昔の大字に該当する単位である。どうして久留須川と…

名字に見る水運と人々 中世豊後及び海部郡・郷土史研究用資料(41)

昨年来、豊後探訪において疑問に感じていたことがある。佐伯地方が属した豊後海部郡(佐尉郷、佐加郷、丹生郷、蒲戸郷)の郡衙(政庁)が豊後国衙(国主所在地)や大分郡郡衙の近傍、大野川河口近辺に置かれていたという事実である。穂戸郷と呼ばれた佐伯地…

名字に見る歴史背景 中世豊後及び海部郡・郷土史研究用資料(40)

豊後及び海部郡佐伯地方の歴史背景をあらためて名字から紐解いてみた。全てこの絵(壇ノ浦の戦い)に始まる。武家政権の成立である。中央武力政権と氏族の関係性(勝者と敗者)、またそれぞれの国(令制国66カ国)の固有性(地政、地勢)の違いにより概ね把…