忘れなそ、ふるさとの山河 〜郷土史編〜

地方の精神と国のかたち、都市は地方の接ぎ木である。

“豊後のロレンス”のブログを訪問頂きありがとうございます。 望郷の念止み難く、豊後及び佐伯地方の郷土史研究と銘打って日々の想いを綴っております。たまには別館ブログ(リンク先)でcoffee breakしてみて下さい。読者になって頂ければ励みになります。

2021-06-01から1ヶ月間の記事一覧

戦国合戦、そうは人を殺せない 中世豊後及び海部郡・郷土史研究用資料(19)

戦争における白兵戦において殺生(殺人)する事に関する興味深い考察がある。 その前に、戦国時代、それぞれの地域でよくもこれだけの合戦を数年おきに、ひどい時は毎年、やったものだと驚くばかりであるが、合戦におけるその兵員数や戦死者数に疑問を抱くこ…

島津、豊後蹂躙図とリーダーシップ 中世豊後及び海部郡・郷土史研究用資料(18)

これほどまでに自国を他国に蹂躙された例を知らない。1586年の島津氏による豊後進攻である。 下図は島津の豊後進攻直前の豊後領国内の攻城戦に向けた主要な武将の配置図である。島津のその支配勢力地からの膨大な調達兵力(約40,000人)に比較し、大友には既…

積年の恨み骨髄に徹す 中世豊後及び海部郡・郷土史研究用資料(17)

薩長土肥という。倒幕雄藩である。いずれも徳川への恨みは深い。ただ肥前と土佐は少々背景を異にする。幸いにも徳川治世の260年間、いずれの家も改易、転封を受けていない。一所で力を蓄えるに十分過ぎる歳月である。薩摩と長州には徳川に対等の意識が強い。…

裸もまんざら悪くない 中世豊後及び海部郡・郷土史研究用資料(16)

裸にするのが好きである。女性のことではない。もっとも、嫌いという訳でもない。 物事の事である。ここは豊後佐伯地方の地形や地質を裸にする。すでに我が豊後の地勢については書いた(地勢と生活文化)。我が佐伯地方は付加体で成っていた。これが纏ってい…

豊後恨み節 中世豊後及び海部郡・郷土史研究用資料(15)

そう言いたい訳がある。豊後は何故にかように小国分立の他国の耳目を集めることの無い地域になってしまったのか。 江戸時代の豊後の各大名領地 いざという時にこの国を動かす出力を備え得る国でいたか否かという事である。幕末の長州や薩摩や会津や長岡や、…