忘れなそ、ふるさとの山河 〜郷土史編〜

地方の精神と国のかたち、都市は地方の接ぎ木である。

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「トロイの木馬」 Y3-08

 宮崎県の「美々津」は紀元二千六百年記念事業の一環として「日本海軍発祥の地」となった(1940年)。「神武東征」の出港地としての伝承による。日本帝国によるお墨付きである。だから美々津は「御津(みつ)」に由来するとも言われる。因みに大友氏が島津氏に惨敗した「耳川の合戦(1578年)」で有名な耳川の河口にある。元は美々津川といった。
 但し、古事記にも日本書紀にも神武天皇は日向の地から東に向けて出発したとはあるが、美々津から出港したとは何処にも書いていない(座高千穂宮而、即自日向発/舟師東征、至速吸之門)。
 「神武東征」や「景行天皇九州巡幸」の伝承は各地の地名や行事に刻印、記憶され現在に繋がっているが、そのいずれもが美々津の例のように必ずしも記紀に記述されている訳ではない。これら天皇の実在さえ否定する論も多い。

 ただ、伝承だからと言って事実ではないとは言い切れない。時の権力による歴史記述が必ずしも正しい事実を伝えているとも言えないように。寧ろ民間伝承にこそ、そのままの事実が記録されているのではないか。それは「トロイの木馬」かもしれないのだ。
 大分県や佐伯地方には神武天皇景行天皇の足跡について多くの伝承が残っている。古代よりの大動脈、豊後水道があってこその豊後の歴史のような気もする。

 神武天皇は出発する前に息子達と麓の高千穂から「傾山(県境にある)」に登り進む方向を決めた。この山の別名を「四王子峰」という。神武四兄弟の生誕地としての伝承による。一行はそこから大分県側の「宇目地区(木浦)」に降りてくる。その行動が地名を通して残っている。

 美々津を出港した一行が嵐を避けて入港したのが「蒲江地区の入津湾」である。ここにも実に多くの伝承が地名に刻まれている。その数は宇目地区を遥かに凌ぐ。

 因みに伝承では景行天皇も宇目を通っている。宇目は天皇から「梅の里」の命名を得た事に由来する。酒利岳の麓の「酒利(さかり)」の地名は、その梅がぐんぐん育つのを見て天皇が「ああ、盛り」と言った事に因む。

 一行は、米水津湾(居立の井)、佐伯湾(神の井)で食料と水を調達し、速吸之門(豊後水道)を過ぎて宇佐まで北上していく。佐伯地方の校歌のいくつかにもその伝承が歌い込まれている。ただ、その多くは廃校となり校歌さえも”廃歌”となってしまうのであろうか。実に哀しいことである。

 さて、その200年後、今度はその逆のルートを辿り神武の建てた大和政権に従わない熊襲を征伐すべく、景行天皇が九州に遠征してくる。日本書紀古事記には記述がない)では九州上陸以降は陸行であるが、「豊後風土記」の記述を重視する地元では「水行説」をとってきた(今は知らない)。

 景行天皇は周防の「佐波津」から「海部郡の宮浦(宮の内)」に渡り(渡伯於海部郡宮浦)、地元の首長、「速津媛(津井が拠点)」の出迎えを受け、この地の土蜘蛛(敵対的豪族、天皇側からの蔑称)退治を要請される。「宇土洞穴」が住処と伝わる。また、船を停泊した時に見事な海藻(最勝海藻/ほつめ)を海底に認めこれを取れといって献上させた。故にこの海を「最勝海藻門(ほつめのと)」という。穂門郷、最勝海浦(にいなめうら)や蒲戸崎の地名はこれに由来する。一行はその後、日向の高尾宮を目指す。

 景行天皇は後年、息子の「小碓命(後にヤマトタケル)」を熊襲討伐に派遣する。当然、ヤマトタケルは父の行路を踏襲したに違いない。熊襲の首長、「山川梟帥(ヤマカワタケル)」を討ち果たした地が延岡市ヤマトタケル命名による「行縢(むかばき)」である(鹿児島県霧島にも同様の伝承がある)。ここではヤマトタケルは延岡の「東海港」から上陸したと伝わる。つまりヤマトタケル景行天皇の水行を証明したようなものである。

 伝承を事実とかけ離れた戯言と受け取るか、それはそれで歴史の痕跡として受け入れようではないかと柔軟に考えるか、その姿勢や意識が地域文化の発酵と醸成に決定的な違いを生じさせる。伝承は非史実だとして反証に汲々とするより堂々と語り継いでいけばいい。トロイの木馬は確かに実在したのだから。
 そういう地域の意思が「シュリーマンを生む土壌」を作る。将来を豊かにする地域とはそういう心性を涵養するところなのである。文化意識の高いところなのである。だから堂々と伝承を語り盛り立てるのが正しい。
 神武天皇景行天皇ヤマトタケルも確かに豊後水道を通り佐伯地方に足跡を残したのである。

海人族と神武東征 Y3-01 - 忘れなそ、ふるさとの山河 〜郷土史編〜 (hatenablog.com)

(資料)佐伯地方の伝承は「ふるさと歴史考・古代幻想と神武伝説」(南海新報叢書)による