忘れなそ、ふるさとの山河 〜郷土史編〜

地方の精神と国のかたち、都市は地方の接ぎ木である。

“豊後のロレンス”のブログを訪問頂きありがとうございます。 望郷の念止み難く、豊後及び佐伯地方の郷土史研究と銘打って日々の想いを綴っております。たまには別館ブログ(リンク先)でcoffee breakしてみて下さい。読者になって頂ければ励みになります。

2021-05-01から1ヶ月間の記事一覧

紀州・海人族と鯨の行跡 中世豊後及び海部郡・郷土史研究用資料(14)

紀伊地方は豊後海部郡と同じ海人族を遠祖に持つ。かつて海部郡を置いた。この海人族は瀬戸内や阿波との関係が深い。その海部郡の南方に牟婁郡がありこの一帯を熊野地方という。無論、同じ海人族の地である。ただ、この熊野地方の目の前の海は同じ海人族が辿…

独歩が呻く、佐伯で吼える 日々雑感

国木田独歩、何とも熱くて性急で面倒臭くて側に居たくない男である。 独歩は、矢野龍渓(経国美談作者、佐伯市出身)より徳富蘇峰(国民新聞主宰)に打診があり、その推薦により佐伯に来た。独歩は、私学鶴谷学館(旧佐伯藩主毛利家が郷党の子弟の為に設立)…

豊国(からくに)と韓国(からくに)のからくり 中世豊後及び海部郡・郷土史研究用資料(13)

豊国(とよのくに)は律令制以前にあった国名であるが、これを旧訓では”からくに”と呼ぶとの話がある。要は韓国(からくに)と豊国(豊前、豊後)の因縁浅からず、ということなのである。その事実を見てみた。 まあ、九州北部は、朝鮮半島の生活文化をcopy &…

政略結婚の是非 中世豊後及び海部郡・郷土史研究用資料(12)

戦国時代、大友氏の麾下にあって、我が佐伯氏も大した策略家であったかもしれない。 政略結婚、一見、特に女性にとっては嫌な言葉に違いない。だが今の世にも、安心、安全の機能として息づいているのではないか、と思わぬでもないのである。利害が念頭にある…

佐伯の殿様、本で持つ(佐伯文庫の功罪)

偶には中世を離れて江戸期を覗く。寛政期、我が豊後佐伯藩にとんでもない藩主が出た。 高々二万石の片田舎の外様大名である。その二万石が結果的ではあるが、加賀百万石の向こうを張った。喧嘩ではない。書物の蒐集である。蔵書数の異常な多さである。江戸期…

鉄の来歴に想う 中世豊後及び海部郡・郷土史研究用資料(11)

鉄について語らぬ訳にはいかない。人間の営みを観察する限り無視し得ない対象である。 鉄は、農機具への使用は農業生産力を、武器への利用は殺傷能力(戦闘能力)を、飛躍的に高めた。無論、それに留まるものでは無いが、鉄は為政者には国力増強と生活者には…

佐伯と瀟湘八景

佐伯志(史では無い)をめくっている。佐伯八景という項に目が止まった。 八景とは北宋の官僚宋迪(そうてき)が湖南省長沙に赴任時に描いた山水画、瀟湘八景がその始源である。洞庭湖、これに流れ込む瀟水、湘江の風景を描いた。これで八景のテーマが確定し…

豊後相克の行方(続編) 中世豊後及び海部郡・郷土史研究用資料(10)

前回、大友氏の宿痾について触れた。極めて面倒な作業であるが筆者なりの解釈でこれをまとめてみる。 15世紀中期から16世紀末までのこの時期は、守護大名が戦国大名への変貌期にあり主従関係は緩くフラット気味であったろうか。在地領主に主家をも自力救済(…

母のツバメ

この時期の母のパートナーは玄関の梁に住まう燕である。誤解なきよう言っておくが”若いツバメ”ではない。最早そんな歳ではない。今年、90歳になる。 限界集落を絵に描いたような、かつては里山であった山間に、父が逝った後は一人で暮らす。家の外に出ても話…

大気と水への誘い 中世豊後及び海部郡・郷土史研究用資料(9)

前回に続く。西欧世界のアジア世界への到達について大気と水の視点から見る。 大気は風になる。渡り鳥には欠かせない。水は潮流になり海流になる。海流は回遊魚には欠かせない。潮流は引力が起こし海流は風が起こす。古代から人は回遊魚には倣うことは出来た…