忘れなそ、ふるさとの山河 〜郷土史編〜

地方の精神と国のかたち、都市は地方の接ぎ木である。

“豊後のロレンス”のブログを訪問頂きありがとうございます。 望郷の念止み難く、豊後及び佐伯地方の郷土史研究と銘打って日々の想いを綴っております。たまには別館ブログ(リンク先)でcoffee breakしてみて下さい。読者になって頂ければ励みになります。

日々雑感

鎌倉で想ったこと

東京方面から鎌倉に入るには通称金沢街道を使う。意外に勾配もありカーブの多い峠道である。1956年に開通した。近くの”朝比奈切通し”のある昔の六浦道に重なる。こちらは1241年に開通した。材木座海岸の和賀江島港の外港であった金沢(区)の六浦津に繋ぐ為…

故郷忘じ難く

老母が独居する実家に二ヶ月ほど生活した。何しろ僻地である。この間、インターネット接続が断たれた。Facebookを通じて何とか社会との接点は確保出来たが、それも不要なほどに故郷の日々は濃密で人と食と風土は機微に富んだ。 後輩曰く、”僻地は宝の山と海”…

フィトンチッドの森

豊後佐伯地方の山々の多くは決して高山ではないが、肌が綺麗で絨毯のように柔らかく深々とした森林に覆われている。 森に入ると心身が癒される効果がある。かつて森林浴ブームが起こり、そこでヨガや瞑想を行えば更に効果が増加すると言われた。このことは科…

日本百名山、日本百低山

国境の長い峠道を越えると山国であった。豊後佐伯地方はそういうところである。 阿蘇山の大噴火による溶岩流が形成した大野平原から眺めるとその南側には見事なまでの山陵の壁が立ち塞がっている。その向こう側は山また山である。そこにある。 厚さ100kmはあ…

小さな独歩達

国木田独歩の逍遥した”豊後の国佐伯”にも小さな詩人達がいた。豊かな感性を持って生まれ来た子供達は誰もが詩心を持っている。周囲にある大自然は四季を通じていつもそれを活性させてくれた(今もそうであろう)。 見事なまでにこれを教育の場で実践した教師…

山笑う

新緑の季節が今盛りである。花より何より四季を通じて自然と言えばこの時期の新緑に尽きる。みずみずしく清々しく明るく眩しく優しい。この歳になっても、この新緑の時期が訪うと、頑張って生きようという気になる。 ただ、都会には深い山が無い。目に映る新…

佐伯五山

禅宗五山(豊後と禅宗五山十刹、2021.11.11)とは関係ない。大分県佐伯市と宮崎県との県境沿いに屹立する千メートル級の連山の事である。ユネスコエコパーク(日本には未だ10ケ所しかない)に指定された”祖母・傾・大崩”の自然環境に優れた地域にある。 北側…

夢の行方

I have a dream. 一見、普通に使えば何の変哲もない文なのだが、よくよく考えると意味深いものになってしまう。アメリカの公民権運動(黒人解放運動)の指導者マーティン・ルーサー・キング牧師の誰もが知る1963年のリンカーン記念堂での演説中の名文句だか…

老いと習慣

昨年の帰省に伴い中断していた早朝ウォーキングを半年振りに再開した。継続する準備をして帰省したもののサボってしまっていた。なにしろその代わりに田舎では山野河海を駆け巡ったのだから。再開初日の靴擦れはやむ無しとしても二日後に尋常ならぬ筋肉痛が…

ひととせを想う

一年はまさにあっという間に過ぎ去ってしまった。歳を重ねるに比例して時はそのスピードを増すと言うのはどうやら真実のようである。職業人であっても自由人であってもそれは変わりがない。それでも出来ることならこれに抗いたい。自分だけはそのように安易…

ロシアより愛を込めて(続編)

昨年、別館ブログに”ロシアより愛を込めて”を投稿したが、ロシアのウクライナ侵攻を目の当たりにしてそんな呑気な話ではなくなってしまった。ロシアは昔から好きな国であっただけに猶更に心穏やかでない。愛すべき国であることに今も変わりはないが、そのリ…

芭蕉、来たれ

年末年始にかけて一ヶ月ほど豊後佐伯地方に帰省し故郷の歴史の現場踏査に臨んだ。先学諸氏とも交流の栄誉に浴したが、これまでの資料分析と違って今もって中々その成果を筆に託せない。感情が先立つのである。 偶然と言うべきか奇跡的というべきか、予期せぬ…

父との邂逅

二年振りに帰省中にある。予期せぬ神がかり的な邂逅が続いていて未だ興奮冷めやらない。 一つ目は羅漢寺(中津市)を後にして目指した恐るべき山あいにある龍岩寺(宇佐市、日本三大投入堂)でのことだ。 猪も驚いて転げるように逃げて行ったが、山賊が出て…

豊後探訪・国東と佐伯

「隣の芝生は青い。」、という言葉がある。 豊後最北の国東地方と最南の佐伯地方、佐伯の人間にとって国東は気になる存在である。古来、豊後の南北の地にあって相互に交流する機会はほぼ絶無である。まるで民族が違うようなものである。筆者には生まれてこの…

豊後探訪・国東編

もういいだろう。コロナ禍に帰省を阻まれて貴重な2年間を浪費してしまった。この間、豊後並びに海部郡の歴史文化・史跡の踏破を希求して止まぬ日々が無為に過ぎて行った。資料漁りばかりで頭でっかちになっている己を否定しようがないのである。決めた。車で…

僻地性と価値転換

筆者はこれまでの投稿記事の多くに我がふるさとの僻地性を強調し過ぎたのではないかと、少々後ろめたい気持ちがある。ただ、それ故に魅力ある人々を産む地でもあり誇りに思う点も念押ししたつもりではある。まずは東西南北からの佐伯地方の俯瞰である。確か…

国木田独歩とわがふるさとの峠道

“本匠路”はすべて山の中である。 峠道は車で通っては情感が湧いてこない。舗装されていては尚つまらない。峠道は人馬に踏み固められた細い土肌の道で、歩いて通ってこそ味わいが出てくる。峠道を越えていく。峠道から降りてくる。峠道で振り返る。峠道で立ち…

帰りたい夏、帰れない夏

八月は人々にとっては色々な意味でもっとも熱い月だが、反面、寂しい月でもある。ここは新暦の八月葉月の事である。盆には親類縁者が集いご先祖様も帰ってくる。だがこの時期を境に人々の心情は暑い気運から寂しい気運へと転じていく。人々やご先祖様が帰っ…

暦行事と季節感、混乱と鈍感

暑い夏、この季節になると暦行事でやや混乱することになる。旧暦(太陰太陽暦:月の運行と二十四節気)の思考が必要になるからである。それまでは概ね順調に新暦(太陽暦:太陽の運行)で過ごして来ていたのに、である。この時期に限ったことでは無いが、暦行…

暑い夏、熱い夏

“望郷”、歳を重ねる度に胸を締め付ける度合が増す言葉だ。”夏休み”、幾つになっても鮮やかな思い出を紡ぎ出す魔法の言葉だ。この暑い季節にこれ程似合う二つの言葉は他には無い気がするのだ。 “暑い夏”、母校の110周年記念の会員名簿が届いた。つい同窓の一…

独歩が呻く、佐伯で吼える 日々雑感

国木田独歩、何とも熱くて性急で面倒臭くて側に居たくない男である。 独歩は、矢野龍渓(経国美談作者、佐伯市出身)より徳富蘇峰(国民新聞主宰)に打診があり、その推薦により佐伯に来た。独歩は、私学鶴谷学館(旧佐伯藩主毛利家が郷党の子弟の為に設立)…

佐伯の殿様、本で持つ(佐伯文庫の功罪)

偶には中世を離れて江戸期を覗く。寛政期、我が豊後佐伯藩にとんでもない藩主が出た。 高々二万石の片田舎の外様大名である。その二万石が結果的ではあるが、加賀百万石の向こうを張った。喧嘩ではない。書物の蒐集である。蔵書数の異常な多さである。江戸期…

佐伯と瀟湘八景

佐伯志(史では無い)をめくっている。佐伯八景という項に目が止まった。 八景とは北宋の官僚宋迪(そうてき)が湖南省長沙に赴任時に描いた山水画、瀟湘八景がその始源である。洞庭湖、これに流れ込む瀟水、湘江の風景を描いた。これで八景のテーマが確定し…

母のツバメ

この時期の母のパートナーは玄関の梁に住まう燕である。誤解なきよう言っておくが”若いツバメ”ではない。最早そんな歳ではない。今年、90歳になる。 限界集落を絵に描いたような、かつては里山であった山間に、父が逝った後は一人で暮らす。家の外に出ても話…

道路交通法第五十三条について考える

道路交通法第五十三条について考える。 どうしても同意を求めたい事が一つある。世のドライバーの車の機能に対する理解の仕方についてである。というか運転の心構えについてである。もっとも、ここは方向指示器に限定しての話である。方向指示器はそもそも何…

地方選に想う

女性たちの熱い戦いが終わった。 佐伯市俯瞰 我が故郷佐伯市長選のことである。静かな街は久方振りの”祭り” に湧いたことだろう。前回の無風選挙から、今回は一転、現役に三名の新人が挑戦した。そのうちの一人が女性候補で”大分県初の女性市長実現を”、と銘…

週末に想う

退職後、初めての週末にある。 在職中は金曜日の夜から土曜日の朝までの時間がこの上なく好きであった。こういうのを至福の時間と言うのではないか。夜更かしも放題ながら、特に朝の光が部屋一杯に満ち溢れる土曜の午前の時間が堪らなくいい。光が徐々に明る…