忘れなそ、ふるさとの山河 〜郷土史編〜

地方の精神と国のかたち、都市は地方の接ぎ木である。

“豊後のロレンス”のブログを訪問頂きありがとうございます。 望郷の念止み難く、豊後及び佐伯地方の郷土史研究と銘打って日々の想いを綴っております。たまには別館ブログ(リンク先)でcoffee breakしてみて下さい。読者になって頂ければ励みになります。

2021-07-01から1ヶ月間の記事一覧

暦行事と季節感、混乱と鈍感

暑い夏、この季節になると暦行事でやや混乱することになる。旧暦(太陰太陽暦:月の運行と二十四節気)の思考が必要になるからである。それまでは概ね順調に新暦(太陽暦:太陽の運行)で過ごして来ていたのに、である。この時期に限ったことでは無いが、暦行…

暑い夏、熱い夏

“望郷”、歳を重ねる度に胸を締め付ける度合が増す言葉だ。”夏休み”、幾つになっても鮮やかな思い出を紡ぎ出す魔法の言葉だ。この暑い季節にこれ程似合う二つの言葉は他には無い気がするのだ。 “暑い夏”、母校の110周年記念の会員名簿が届いた。つい同窓の一…

禍福は糾える縄の如し 中世豊後及び海部郡・郷土史研究用資料(23)

歴史には運命の不思議がある。運命の皮肉もある。それぞれの運命の糸が紡がれていく。 豊後大友吉統、土佐長宗我部元親、薩摩島津義弘、伊予来島通総については後述するとして、まずは豊後佐伯地方を治めた佐伯氏とその後の毛利氏を見る。豊後大神姓佐伯氏の…

宗教勢力と世俗化と文化と 中世豊後及び海部郡・郷土史研究用資料(22)

律令体制下においては土地と人民は国家のものであった(=国領)。それぞれの国には朝廷から国司を派遣し支配した。土地からは年貢を取り、人には公事を課す。その国司の差配次第で搾取の動向も変わった。さて、やがて朝廷(国家)側に、税収拡大の為の新田開…

キリシタン大名はつらい 中世豊後及び海部郡・郷土史研究用資料(21)

戦国時代、日本にキリシタン大名が続出したのは何故なのだろう。諸説聞くが腑に落ちるものに出会えていない。1549年のイエズス会のザビエルの鹿児島上陸から1614年の家康の禁教令までの期間である。 キリシタン大名:高山右近 16世紀、欧州のキリスト教界に…

隠れキリシタン、隠しキリシタン、しかとキリシタン 中世豊後及び海部郡・郷土史研究用資料(20)

日本政府(明治政府)が法律上正式にキリスト教の活動を認めたのは1899年である(神仏道以外の宣教宣布並堂宇会堂に関する規定)。 日本に初めてキリスト教がもたらされたのは、1549年のザビエルの鹿児島上陸からである。江戸幕府の1614年の禁教令までが最初の…