忘れなそ、ふるさとの山河 〜郷土史編〜

地方の精神と国のかたち、都市は地方の接ぎ木である。

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"おおみわ"で混沌 Y3-07

 「大神」は”おおみわ”と読む。「大三輪」とも書く。「豊後大神氏」とも無縁ではない。但し、この場合は”おおが”と読む。

 豊後大神氏の源流を調べたいと思っていた。「大和大神氏」を辿ることになる。すると「大神(大三輪)神社」に行き当たる。そこは「記紀」の世界への入口でありそれを避けては進めない。記紀はそれ以前の古代の歴史の抹殺、あるいは改竄をやっている。記述内容の曖昧性を拭えない。だから素人には始末におえない。案の定、足を踏み入れて混乱の極致である。

    

 豊後大神氏には宇佐神宮を創建した「大神比義」(568年)と「豊後介大神良臣」(886年)の流れを汲む二系統がある。後者が本来的である。但しこちらもその家譜は改竄(権威付け)をやったが為に同様に一貫性を欠き曖昧である。

 

 「祖母嶽大明神」の化身である大蛇と見目麗しい姫君「華の御本(宇田姫)」との間に産まれた「大神惟基」が豊後大神氏の家祖となる。所謂、「苧環(おだまき)伝説(蛇神婚)」で、神に選ばれた高貴な血統である事を誇示している。この時点で大神良臣・庶幾がうまく背後に隠される。その祖が"豊後介"では九州あるいは中央貴族にも示しがつかない。伝承は平家物語に登場する「怖しき者(惟基)」の末裔「緒方惟栄(5代目)」で世に広まる。その怖しき者の末裔達が豊後及び九州の武門の頂点に立つ。源平合戦で頼りにされる。成功である。

 

 因みに華の御本は「長徳の変(996年)」で太宰府に配流された「内大臣藤原伊周」の娘とも伝わる(伊予野村緒方家譜)。こちらの方にこそ興味をそそられる。伊周は叔父・藤原道長との権力争いに敗れた。その妹・定子には清少納言が仕えている。道長の娘・彰子には紫式部が仕えている。その中宮争いも見ものである。

 大神佐伯氏は最後まで生き残った怖しき者の末裔である。他の末裔達は滅びるか主家大友氏の庶子が家に入り事実上息の根を止められた。最後の当主「佐伯惟定」の脇腹には鱗が生えていたという伝承もその由縁(大蛇の血統)による。だから豊後大神氏の家紋は「三つ鱗」である。大神神社の神紋は「三本杉」で「三つ鱗」はその変形ともいわれる。

 祖母嶽大明神は神武天皇の祖母「豊玉姫」を祀る(記紀)。だから祖母嶽と称する(神武の祖母は「天照大神」とも)。出自の大和大神氏にも負けそうもない血統ではないか。

 大和大神氏は元は大和王権の前の”三輪王朝(崇神朝)”(近くに纏向遺跡や大型古墳)を支えた大族である。大和王権になって勢威が衰えた。大阪和泉地方の豪族で大和王権下では外交を得意とする一族であったとも伝わる(渡来系を示唆)。ただ「中納言高市麻呂」の時に「持統天皇」の伊勢神宮参詣を諫止(692年)して不興を買い勢力を落とした。その後は政治部族としてではなく大神神社の神主の地位に押し込められ現在に至っている。大神比義や大神良臣はそれ以前からの分流である。

  

 その大神神社(三輪氏/大神氏)にも苧環伝説がある。大神氏の始祖、「大田田根子」は祭神の大物主神三輪山の神は元々は蛇神)と活玉依姫(処女)の間に生まれた子である。苧環伝説(英雄誕生譚)は中国や朝鮮にもありいずれもこれを踏襲したものであろう。因みに苧環(糸巻)の糸を手繰っていくと三輪山まで繋がっていたのであるが、それでもまだ糸巻が三つ残されていたからということで”三輪”という名前となったとも伝わる。

 さて混乱したままである。大神神社御神体三輪山であるが、その前は”御諸山(みもろやま)”と称され古くより「太陽神」を祀っていたらしい。記紀では「天照大神」が唯一の太陽神であるにも関わらず。

 何故、御諸山というのか。山が連なっているからとも言う。大物主神が”大和を囲む青々とした垣根のように連なる山々の東の山の上に祭れ”と言った事からも”連なる山々”の東にある山が三輪山であるからそうかもしれない。あるいは酒の元である”みむろ”に由来するとも。大神神社は酒の神を祭ってもいる。大物主神に酒を奉納しろと言われ酒を仕込み神酒として奉納した。神酒(みき)は”みわ”と称したから"三輪"とも。古来、三輪山の杉は聖なるものであった。酒蔵に付きものの杉玉発祥の由縁でもあり否定も出来ない。

 大和王権の祖神(天照大神)を祀る「伊勢神宮」は大神神社よりも後に創建(7世紀末以降)されている。元々宮中に天照大神と「倭大国魂神」の二神を一緒に祀っていたものを都合が悪いので外に出して分けて祀ったという。記紀では大物主神倭大国魂神天照大神の関係性が曖昧で分かり難い。出雲系(国津神)と日向系(天津神)の軋轢、あるいは妥協の産物かとも推測する。

   

 記紀は”高天原”という神の住む国を創作してそれまで伝わって来た日本の歴史の根拠を曖昧にしてしまった。日本人の何かにつけて曖昧にする心性に影響していないとも限らない。”おおみわ”を辿っていてそんなところまで迷走してしまった。