忘れなそ、ふるさとの山河 〜郷土史編〜

地方の精神と国のかたち、都市は地方の接ぎ木である。

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父との邂逅

 二年振りに帰省中にある。予期せぬ神がかり的な邂逅が続いていて未だ興奮冷めやらない。

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 一つ目は羅漢寺中津市)を後にして目指した恐るべき山あいにある龍岩寺(宇佐市、日本三大投入堂)でのことだ。

 猪も驚いて転げるように逃げて行ったが、山賊が出てきそうな細い雪解けの山道に迷い込み、なるままよと腹を括って山越えしてようやく寺までたどり着いた。岩窟を穿って造られた奥の院礼堂までのきつい参道から降りてきて独占状態の駐車場で一息ついていると、どこからともなく軽トラが近づいてきた。来訪者が珍しいのか親しく話しかけてきた人が西日本平家会会長(平清盛の弟の末裔)だった。一気に歴史話に花が咲いたが時間もない為、引き留められるのを振り切るように退散した。その後、連日、矢継ぎ早にメールが届く。この方の紹介で佐伯地方に住む椎葉・那須一族(源氏の武将の末裔)とも出会う算段がついたのである。いずれも有難い縁である。

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 もう一つは歴史探訪とは関係がない。国道沿いを歩く「あいつ」をほぼ半世紀振りに見つけたことだ。これについては少々詳しく述べたい。

 「奇遇というか、いやこれは奇跡的だ。ゴミ捨て(山村では車で捨てに行かねばならない)のついでに、何気なく近くをドライブしていた。直ぐに引き返そうと思ったが田舎道だ。後続車がピタリとついた為に進行せざるを得なくなった。それなら国道まで出て大きく迂回して帰ろうと決めた。ガソリンスタンドがあったのでついでにガソリンでも補給しようと停めた。ふと車の外を見ると何処かで見覚えのある顔がリュックを背負ってこちらに歩いて来た。あいつのようでもあるし、ないようでもあり、声をかけたところ、やはりあいつだった。結婚式に出席してくれて以来、40年振りの再会だった。あいつの消息はその後一切不明、誰も消息を知らない。帰省したようだとの情報もあったが周囲との付き合いの形跡もなく手紙を入れるも無しの礫だ。聞けば月一回、道の駅の温泉を楽しんでいる、その帰りだと言う。歩けば8Kmを下らぬ。その上、道はアップダウンも多い。健康の為walkingも兼ねていると言う。なんだ、意外に健康的にやっているではないか。まずは安堵した。

 さて、何故に奇跡的か。田舎道を引き返さなかった。ガソリンスタンドがあった。そこに車を止めたからだ。時間は15:00過ぎだったろう。そのまま走っていたらすれ違っても気付かない。止まった場所に歩いて来た事が奇跡的だ。半世紀に一度きりの奇跡なのだ。」

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 以前、本を出版した事がある。父への鎮魂の想いからである。父とは最期まで胸襟を開く機会を失した。その悔恨がそうさせた事は間違いない。

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 二年振りに帰省中にある。この間に職を辞した。炬燵に寝そべって歴史書を読んでいると、何気なく母が洩らした。「お前がお父さんと同じ事を始めるとはのう」。息を呑んだ。いや唾を飲んだ。退職後、父と同じ道を辿っていると言うのである。

 郷土史研究である。いや、そういう大それた話ではない。自分で言う事でもないのだろうが、郷土愛、郷土を慈しむ心と言っておこうか、これに関する行動が何だか父と重なって映ったようなのである。

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 もしやと炬燵を抜け出して父の書斎の書架に暫し目を凝らした。それまでは古びた文学全集や教育関係の本ばかりだと思い込んでいた。ある。宝物が分厚い全集に挟まれ押し込められてそこかしこにあったのである。退職後、ひたすら蒐集し人に紹介を頼み探し求めて来たものがそこにあったのである。存在さえ知らなかった貴重な本や資料までもがそこにあったのである。佐伯地方の歴史や史跡に関する資料に満ちていたのである。わざわざ市立図書館の郷土史コーナーに通う必要までもなかった訳だ。

主たるその蔵書を示す。

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 唖然、灯台下暗しどころの話ではない。己のこれまでの姿勢はこれっぽっちも父への鎮魂になっていなかったのである。父の退職後の日々に全く関心を払っていなかったという事実を今になって突き付けられたのである。呵々大笑するしかない。

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 床の上に展げた宝の数々を眺めていると、四年前に山の彼方に逝った父に、「お前の俺への鎮魂はその程度のものだ」、と言われているような気がした。「蛙の子は蛙」、もうそれで勘弁してもらえぬものか。これも想定外の邂逅の一つに加えざるを得ない、と言いたかった訳である。

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 二年振りの帰省中にある。生でも焼いても鯵がすこぶる美味い。山あいには、毎晩、漆黒の闇夜がやって来る。海や山の自然景観が素晴らしい。ついでに人間もだ。それにしても何という寒さだ。朝は布団から出られやしない。それに久し振りの炬燵は腰痛を助長してやまない。

 神がかり的な邂逅が更に待っているのだろうか。帰省の切り上げ時の見極めが何とも難しい。

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