忘れなそ、ふるさとの山河 〜郷土史編〜

地方の精神と国のかたち、都市は地方の接ぎ木である。

“豊後のロレンス”のブログを訪問頂きありがとうございます。 望郷の念止み難く、豊後及び佐伯地方の郷土史研究と銘打って日々の想いを綴っております。たまには別館ブログ(リンク先)でcoffee breakしてみて下さい。読者になって頂ければ励みになります。

豊後佐伯藩領を覗き見する 中世豊後及び海部郡・郷土史研究用資料(30追補)

 本稿は後進の将来の研究用の支援になれば幸いと考え掲載しておくものである。豊後佐伯藩の郷村と石高について絵図と共に示す。江戸幕府が国絵図とともに作成させた一国(旧国)単位の郷村高帳による。郷帳は慶長、正保、元禄、天保の四回作成されている。今回は最後に作成された天保郷帳による。因みに全国諸藩の郷帳、絵図も現在に残っているので同様の検証が可能と思われる(原本85冊)。

f:id:Bungologist:20210911102257p:plain

豊後佐伯藩城下図

 豊後国には八郡が置かれていたが、その内の海部郡、且つ当郡に知行地を持つ佐伯藩について整理した。現在の佐伯市の前身となる藩であるが、当時は隣の津久見市の半分ほども佐伯藩の領国であったが、本稿においては現在の佐伯市に限定した(但し、佐伯市宇目地区は隣国岡藩に属していた為含んでいない)。

 いずれの藩においても郷帳の基になる各藩で作成した台帳(朱印高に対して実高管理が重要)は租税徴収の為の最重要資料となっていったようである。

 下図は豊後国の海部郡の絵図である。海部郡は海と共に生きて来た珍しい郡である。名前は白水郎(あま)の棲む国に由来する。豊後国志には豊後の中でも特に海部郡に限って唯一、浦(漁村)数について別管理を行っている(如何に浦高=運上が重要な経済基盤であったかの証明であろう)。この郡には臼杵藩(5万石)と佐伯藩(2万石)の二藩があった。表高7万石(但し天領分は除く)の経済規模の郡である。

f:id:Bungologist:20210911100558p:plain

 下表は郷村別の石高をまとめたものである。積み上げると天領を含めると約28千石(天領を除くと26千石)と表高2万石よりは30%多くなる。ただ浦高(3,451石)については漁獲高等の海からの生産物を米生産高に換算したものと推察する。但し在方(農村)と浦方(漁村)の人口比率に鑑みると浦高が低過ぎる。浦方にはこれに現れない生産活動・生産物があったと推察するが、今後の検討課題である。またこの時代においては行政単位となる郷村数が現在に比べて多いことが分る。郷村の下には更に支郷(支村)がぶら下がっていた。

f:id:Bungologist:20210911100758p:plain


 因みに明治の廃藩置県の時には佐伯地方に限定した郷村数は82村(各浦、支村を村数に含む)と認識されており、これを1町23ケ村に統合している。下表に示す。

f:id:Bungologist:20210911101055p:plain


 さて佐伯藩領の絵図を浦方2図、在方2図に分けて展望すると以下のようになる。郷村の位置、石高の詳細に加え、陸路(一里塚、川船渡)、海路(航路距離)の詳細の指標も記載されている。また特に海防に注力したのか浦方には番所・遠見番所が要所に設置されている。浦方には主要陸路が繋がっていない。海路が要路ということになる。

<浦方:上浦部分図>

f:id:Bungologist:20210911101353p:plain


<浦方:中浦、下浦部分図>

f:id:Bungologist:20210911101700p:plain


 在方においては海岸地方には平地があるものの内陸地方は狭隘な山間地に田地が散在していて広大な割には出来高は少ない。また大国でもないにも関わらず天領が2千石入り込んでいて紛争の種にもなってきた(水争い等)。お家騒動の名残である(藩主の傍系がその領地を幕府に返納したことに始まる)。

<在方:農山村図>

f:id:Bungologist:20210911101856p:plain

f:id:Bungologist:20210911101941p:plain

 

 因みに米一石は約150Kgで一人当たり年間消費量に相当する。現在の米価(2020年米価平均:16,000円/60Kg=267円/Kg、一石≒4万円)で各郷村の米生産額の推計が可能である。単純計算では、佐伯藩表高2万石は8億円、実高26千石は10億円相当となる(無論、物価調整前の数値である)。

 この地方においては明治期以降の再三の郷村の統合に伴い由緒ある地名が歴史の中に消えて行った。それぞれの地における民俗の象徴が地名でありその喪失は悔やまれる。最大の失点は海部郡そのものを廃止してしまったことであろう。歴史上、文化史上、民俗史上の失態と言わざるを得ない。

f:id:Bungologist:20210911102640p:plain

佐伯城二の丸


 さて筆者は退職後コロナ禍に遭遇し、帰省して郷土史の文献漁りの機会を得ぬままに今日に至っている(ブログ開始後、約半年間経過)。これまで手元にある資料だけに頼り郷土史研究用資料を蓄積(30稿)してきたものの実証研究無しには中々納得が出来るものではない。

 読者の方々にはテーマが極めて特殊にも関わらずお付き合い頂き感謝しています。これからの方向性について、ご指導を仰ぐことが出来ればこれほどの心強いことはありません。