忘れなそ、ふるさとの山河 〜郷土史編〜

地方の精神と国のかたち、都市は地方の接ぎ木である。

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鎌倉で想ったこと

 東京方面から鎌倉に入るには通称金沢街道を使う。意外に勾配もありカーブの多い峠道である。1956年に開通した。近くの”朝比奈切通し”のある昔の六浦道に重なる。こちらは1241年に開通した。材木座海岸和賀江島港の外港であった金沢(区)の六浦津に繋ぐ為に造った。執権泰時も切通しの開鑿に加勢に出たそうである。

 鎌倉をぐるりと囲む稜線を切り開いて造った鎌倉への入り口を鎌倉七口、あるいは7切通しという。朝比奈切通しもその内の一つである。現在でも鎌倉に入るには昔ながらのそういう道を通らないと入れない。標高はさして高くは無いが見事にぐるりと稜線が鎌倉市街を囲んでいる。守るに易く攻めるに難い土地である事がよく分かる。城壁を巡らす代わりに稜線を利用したまさに中国の城市のようなところである。

 地質的には陸から海底に流れ込んだ土砂などが堆積して隆起した地勢で砂岩や泥岩で出来ている。だから加工しやすい。鎌倉五山もそういう地質の崖で囲まれた谷地に建てられている。ところで鎌倉では谷のことを”やつ、あるいは、やと“と呼ぶ。この地方に多い呼び方でアイヌ語の”低湿地”に由来するらしい。

 ふとその鎌倉五山に行こうと思い立ったのである。以前、鎌倉五山について書いたが実際には行った事がなかったからである(”豊後と禅宗五山十刹”)。金沢街道から車で入った。第一、二、四位の順に回って三位の寿福寺まで来て五位はもういいと思った。一、二位の建長寺円覚寺が圧倒的なのである。寿福寺は境内にも入れなかった。実家での2カ月間で健脚が養われていたので郊外の駐車場に車を止めてすべて歩いて回った。つまらぬところに寄り道せぬ限り鎌倉は半日で足りる。そういうコンパクトな街でもある。

 平日でもあったが、それにしてもどの寺も訪問者(参詣者というべきであろうか)が殆どいない。鶴岡八幡宮は大賑わいだったにも関わらず、一、二位の建長寺円覚寺にしても、である。八幡宮の前を歩いてみると鎌倉は完全にミーハー族(死語?)の聖地だと思った。最近は若者が浴衣で観光地を散策する事が流行しているらしいが、鎌倉はその最たる場所ではないか。神仏もそんな格好で参拝されてもあまり嬉しいものではないだろう。古都に配慮するならせめて着物で巡って欲しいものだ。これでは襟も正せない。

 

 寺とは無関係であるが街を巡っていて不思議に思った事がある。中心地にあるにも関わらず、寿福寺近辺の家屋の多くは朽ち果てつつあった。人気が無いのである。道が狭過ぎて車を通せず不便だからなのだろうか、あるいは景観地区の制約を嫌ったからなのだろうか。八幡宮建長寺の間、切通しの巨福呂坂を歩いていても同じ印象を持った。夏草が庭を覆って沿道の家々が何だか元気が無いのである。理由は未だ探せていない。

 寿福寺の墓地はその侘しく朽ちいく民家の裏手にあって著名人も眠っている。高浜虚子陸奥宗光、そして北条政子源実朝である。政子と実朝の墓は崖をくり抜いて造られていたが何ともささやかな墓であった。所謂、横穴式墓地で”やぐら”といわれ鎌倉に多い。砂岩で彫りやすかったのか、あるいは土地が狭隘だったからなのか、その数は数千をくだらないと言われる。それにしても鎌倉草創期の歴史的人物がこういう扱いなのかと少々驚きであった。

 鎌倉五山を見にきた。そういういらぬ事にかまけていた為でもあるまいが、建長寺円覚寺さえあまり心に残らなかった。いずれも京都五山にも引けを取らない大伽藍であるが、大寺院を訪問する度にいつも同じ想いが浮かんでくる。偏見ではあろうが仏門を離れて事業経営をよくしている印象が襲ってくるのである。拝観料や駐車料金を見てまずそういうところに拘ってしまう悪い癖が治らない。そういう雑念をもって見学するから心に沁みてこないのであろう。

 大伽藍を有する建長寺円覚寺以上に気持ちが向かなかったのが鶴岡八幡宮であった。鎌倉市の観光客のほぼ半数がここを目的に鎌倉に来ている。観光誘客の圧倒的なシンボルである。にもかかわらず、心は躍らず魅了されないのである。多分、八幡宮がこれ見よがしに前に出過ぎなのだ。神社にしては豪勢で羽振りがよさそうな印象が強過ぎるのである。寺はともかく神社は深い森に神性を漂わせて静かに佇んでいるのが何ともいいのだ。京都では清水寺が観光シンボルに相当するが、こちらは観光寺を自負している風があってそれでもいいかと妙に納得させられる。神社に比べて寺院は江戸の昔から既に俗化しているから文句をつけても仕方がない。

 それでも浄智寺の隣にある東慶寺のような古刹が心に染みてくるのは何故だろう。そういう寺は歴史的にも権力とは少々距離を置いていて気品が漂っているような気がするのだ。何より金銭の匂いがしないのがいい。

 それぞれが、まるで人生の有り様とは如何なるべきかを示唆してくれているようで、鎌倉に来てよかったという結論である。