忘れなそ、ふるさとの山河 〜郷土史編〜

地方の精神と国のかたち、都市は地方の接ぎ木である。

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大気と水への誘い 中世豊後及び海部郡・郷土史研究用資料(9)

 前回に続く。西欧世界のアジア世界への到達について大気と水の視点から見る。

 

 大気は風になる。渡り鳥には欠かせない。水は潮流になり海流になる。海流は回遊魚には欠かせない。潮流は引力が起こし海流は風が起こす。古代から人は回遊魚には倣うことは出来た。南洋からの我が海人族がそれである。太平洋上の島々に散住するポリネシア人がそれである。何故に海に漕ぎ出したのかは想像するしかない。さて風そのものに対してはどうであろう。

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 西欧はレコンキスタ(国土回復運動)でイスラムのくびきから脱した。イスラムの最期の王朝はグラナダに終焉した。アルハンブラ宮殿の黄昏である。ポルトガルは、アフリカの彼方にあるその憎きイスラムを降し建国したと伝わる黄金に溢れるキリスト教国、プレスタージョンを目指した。黄金への欲もある。西アフリカの一角に黄金は見つけた。ここから奴隷貿易にも手をつける。プレスタージョンはその先にあるに違いない。香辛料の道の探索もその延長にある。南へ、更に南へ。欲深さは限りがない。

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 大気を観察し水を伝って遂にインド洋に出た。西欧が大西洋とインド洋が繋がっている事を初めて知った瞬間である。ついでに途上、道を逸れてブラジルも発見した。移動手段は船である。動力は風しかない。西欧が水はともかく風を知悉した事が世界を変えた。トリデシリャス条約(世界の領土分割)という傲慢な取り決めも追い風になった。

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 アラブやアジアの商人は季節風は知っていたが貿易風や偏西風を知らなかった。それが吹いている緯度までの移動の必要がなかったからである。精々インド洋の横断で済んだ。東シナ海の縦断で済んだ。西欧は名も無き航海者達が幾多の試練を重ね、遂にこの二つの風を知った。これが世界貿易への決定的な彼我の差を生んだ。

 

 貿易風は中緯度で常に西に吹く。偏西風は高緯度で常に東に吹く。緯度による大気温度の違いと地球の自転によるコリオリ力による。西欧は、大西洋、インド洋、太平洋でこの風に乗った。最早、季節風を待つ必要はない。移動時間の短縮と世界の何処の大陸にも一気に渡って行ける方法を獲得した。これは大きい。因みにバスコダガマの最初の航海はリスボンからゴアを往復するのに二年を要した(寄り道や紛争があったこともある)。船も120tそこそこの小さなキャラック船である。この程度の船なら日本の勘合貿易船でも十分いけた(かもしれない)。

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 更に大航海と交易に適う船の開発も大きかった。ガレオン船である。なるほど強欲は発明の母である。1543年、ザビエルはマラッカから鹿児島まで4千Km余、約50日間を要したが、1565年、イスパニアガレオン船はマニラからアカプルコまで太平洋の高緯度を偏西風に乗って2万Km余、僅か120日で渡った。復路は貿易風で1.4万Kmの安全航路である。利用した船と風の違いである。メキシコ銀と中国絹の道である。国際貿易の嚆矢になった。

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 我がアジアの大航海者・鄭和大航海時代の嚆矢になれたはずである。バスコダガマが1497年にインド洋を発見する遥か以前の1405年に初出航した。その航海は7度に及ぶ。少なくともインド洋を横断して東アフリカまで到達したことは事実である。南極はおろか、欧州の北海、北中南米まで航海したとの考証本もある(*)。

 

 その船や巨大である。全長約140m、排水量8,000tである。ガレオン船(50m、2,000t規模)の比ではない。中国には強欲がなかった。朝貢という権威主義が邪魔をした。この国は昔から経済を見下してきた悪しき歴史背景を持つ。文治主義である。アジア世界にとっては大きな痛手と言えるかもしれない。中国は国際貿易の主導権を獲得するどころか、遂には西欧にその横腹に刃をつきつけられた。今もその権威主義覇権主義に変化がないところがアジアにとっては頭痛の種である。(*「1421 中国が新大陸を発見した年」、筆者の愛読書)。

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 因みに現在、欧州の北海では大規模な洋上風力発電が盛んである。これを可能ならしめているのが、まさにここを通る偏西風である。年間を通じて常時安定的な風が西から吹く。風力発電には最適である。ここでも西欧は風を再生エネルギー発電に利用するという国際ビジネスの主導権をとってしまった。

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 ついでに水に触れる。海流には表層海流と深層海流がある。表層海流はそれぞれの大洋だけを還流するだけだが、深層海流は1,000年余をかけて世界の海を還流する。表層海流は風が起こす。航海には役立つ、回遊魚には役立つ。黒潮が典型である。その流速は毎秒7mに達し5,000万tの水を運ぶ。これに乗って多種の回遊魚が我が佐伯地方沿岸に到達し浦々を潤してきた。

 

 黒潮は更に分流を生み、豊後佐伯地方、土佐、紀伊を海で繋いだ。双方向の生活文化の交流の元であり、その恩恵は大きい。古くは南洋の生活文化をもたらし遺伝子も残した。一方でこの海は多くの漂流難民も生んだ。ロシアのエカテリーナ女帝に謁見した伊勢の船頭・大黒屋光太夫が名高い。漂流難民は船の建造に制約をかけた江戸期に多い。

 

 瀬戸内海は物流と海賊の海であるが回遊魚は来ない。漂流難民もまずは出ない。潮汐流だけであるからだ。南洋からは遠く大陸からは近い。これが時々の政治を左右し政権を生む元になった。海にはそういう視点もある。

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 ついでながら深層海流は塩分密度と深度が起こす。流れも僅か時速4mに満たない。これは利用に難い。

 

 大気と水の循環が狂うと地球から痛烈なしっぺ返しをうける。だから大気と水を大切にしないといけない。何よりもその強欲が通らなくなる。