忘れなそ、ふるさとの山河 〜郷土史編〜

地方の精神と国のかたち、都市は地方の接ぎ木である。

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暦行事と季節感、混乱と鈍感

 暑い夏、この季節になると暦行事でやや混乱することになる。旧暦(太陰太陽暦:月の運行と二十四節気)の思考が必要になるからである。それまでは概ね順調に新暦太陽暦:太陽の運行)で過ごして来ていたのに、である。この時期に限ったことでは無いが、暦行事を旧暦でやったり新暦でやったりと暦と行事の間に混同、混乱を意識させられるからである。何よりそれにより季節感がずれてしまう。我々日本人がその違和感を持ちつつも放置したままにして来たからなのだ。 

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 新暦7月7日の七夕でふと考える。仙台の七夕祭りは8月7日ではなかったか。どうして年二回、七夕がある。牽牛織女は年一回しか逢えない筈だ。それにこんな空模様では二人が逢える確率は低くなる。それは可哀想だし不合理だ。それに梅雨の盛りの6月を水無月というが水だらけではないか。といった具合である。旧暦の7月7日(新暦の8月7日頃)、旧暦の水無月新暦の7月)であれば季節に一致するのである。

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 そして盆が来る。東京では新暦の7月15日に盆を迎える。本来、旧暦の7月15日(新暦では期日が一定しない)が盆である。一般的に世間では新暦の8月15日が盆(月遅れ盆)となる。混乱してしまうのである。日本人の曖昧さ加減の為せるところである。

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 我々日本人は一年を通じての暦行事を本来あるべき季節に合わせて使いこなせていない。そもそも暦は天の運行に、宇宙の摂理に即して決められて来たはずである。暦行事は農耕と生活のリズムである。だからそれと季節感が切り離されては意味を為さなくなってしまう。

 祖父母の代までは暦行事に限っては旧暦と新暦を使い分けていたような気がする。少なくとも暦行事は旧暦を意識し季節感を自ら調整していた。今は旧暦どころか暦行事への無知、無関心が甚だしく季節感にすっかり鈍感になってしまった。我々日本人は、そもそも季節感は肌ではなく暦行事のその表現、言葉に実感してきたはずではなかったか。古人は暦行事を通じ季節の変化を歌に詠んだ。我々日本人は暦行事とその表現に季節の実感を得る事が出来る民族に仕立て上げられてきたのである。だからその混同使用は生活文化の破壊行為にも繋がってくる。これでいい筈がない。もっとも農耕従事者が少なくなった背景もあろうか。

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 この混乱は1872年に新暦に切り替えた時に始まった。7世紀に中国から太陰太陽暦を導入して以来、1200年にわたって使用してきた旧暦を強引に捨てさせられたのである。以来、150年近く日本人はこの暦行事と季節の間の違和感と共に生きて来た。

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 欧米ではどうか。心配無用。彼らは紀元前から太陽暦でやってきた。以来、今日まで暦行事と季節感は一致して来たはずである。 

 イスラム諸国、主としてアラブ諸国は7世紀以来、太陰暦に徹して今日に至っている。ヒジュラ暦である。暦行事は当然、季節と乖離し続けるがそれはそれで構わない。巡礼月や断食月は季節を縫って移動していく。それでも混乱は無い。そもそもこの地では自然との共生の考え方が無い。過酷な自然環境は農耕を容認しない。季節感は無用である。

 中国も暦行事に限っては旧暦を貫き通している。季節感を尊重し生活文化を大切にしているからである。日本だけが混同、混乱しているのである。西欧文化偏重の代償といえよう。

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 旧暦であれ新暦であれ、唯一、二十四節気は違和感が無い。冬至夏至立春立夏立秋立冬、といった節気である。太陽の運行に合わせた一年の季節分割だから違和感は無いのである。中国の春秋戦国時代に始まった。西洋の十二星座とも符合する。いずれも古代メソポタミア天文学をルーツとする。

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 暑い夏、特にこの時期に甚だしくこの混乱に悩まされるのである。盆という今や唯一といっていい一大行事が訪れるからである。日本人として未だ健常という事ではないかと妙な納得感を持つ。ただこの違和感は初春から既に我々日本人に付きまとっているはずである。それを敢えて意識しない癖がついてしまっただけのことである。

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 ところで盆には墓参をする。盆に限らず墓参を好むのは日本人だけらしい。キリスト教に墓参りの習慣は乏しいそうである。確かに海外旅行においても日本人は何故か著名人の墓を訪問したがる。西洋人には不思議な光景なのである。この話の続きはまた折りを見てとしたい。

 暑い夏、この時期に限って暦行事と季節感の乖離にいつも違和感とその調整に面倒を覚える。なんとか出来ぬものだろうか。

 暑い夏、そういうことをくだくだと思い悩ませる季節でもある。

 

了