忘れなそ、ふるさとの山河 〜郷土史編〜

地方の精神と国のかたち、都市は地方の接ぎ木である。

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暑い夏、熱い夏

 “望郷”、歳を重ねる度に胸を締め付ける度合が増す言葉だ。”夏休み”、幾つになっても鮮やかな思い出を紡ぎ出す魔法の言葉だ。この暑い季節にこれ程似合う二つの言葉は他には無い気がするのだ。

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  “暑い夏”、母校の110周年記念の会員名簿が届いた。つい同窓の一人一人の名前を辿って小一時間が過ぎてしまった。己の当時はと言えば、小癪にも敢えて交わらずの態度で通した日々故に、その名簿の中に、特段、楽しい思い出を探せる筈が無い癖に、である。今の自分があの頃に戻れば、どれ程の幸せな時間に変える事が出来るだろうと、一人一人の名前を愛しく辿っているのである。なんとも勝手なものだ。夏は誰にとっても今でも熱いものなのである。そこは何物かが目一杯詰まっている場所なのである。

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 この歳になって今や如何なる感傷も莞爾として受け入れるようにしている。そうすると、あの頃の何物かに幸せを注ぎ込めるような気がしてくるのだ。遠く記憶を辿れば一切の不浄が清められて、それは確かに美しくなる。夏の日の感傷ここに極まれり、である。イタリア映画”ひまわり”のテーマ曲(ヘンリー・マンシーニ)にこの切なき思いと美しき記憶を託し理解してもらうしか無い。それにストーリーも悪くない。

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 それでも駄目ならフランス映画”太陽がいっぱい”のテーマ曲(ルネ・クレマン)でもよしとする。そういう”熱い夏”を偲ぶ”暑い夏”は誰にも毎年巡ってくる。だから上手に受け入れていくことが残りの人生を豊かにする。

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 随分、前のことである。母校の中学校(平成13年3月)、小学校(平成18年3月)の”閉校記念誌”が届いた。木造平屋建ての歴史的な中学校舎は保存される事なく潰されてしまった。その後暫くはgoogle earthにだけは残っていたが、悲しいかな既に今はその痕跡もない。山の獣達のすみかに還っていく。遂に記憶遺産になってしまった訳である。”暑い夏”だからこそ思い出していた、そこに残しておいた”熱い夏”もまた永遠に封印されてしまったような気がする。蝉の声が喧(かまびす)しく降り注ぐ山裾の小学校もまた静かに余命を待っている。夏がいっそう暑い。

 この母校の喪失感から、望郷の念がともに綻(ほころ)び始めるのではないか、とふと不安が襲ってくる。友垣の名前を名簿に一人一人愛しく辿るしか術が無くなってしまうのであろうか。”暑い夏”にそういう想いが毎年襲ってくる。それはとてもとても哀しいことだ。遠い遠い美しい思い出に変えていくしか術がないのはとても悲しいことだ。

 “暑い夏”、奇しくも竹馬の友から懐かしい夏の川遊びの思い出を綴ったメールが届いた。今でもその瑞々しい光景が行間から伝わってくる。誰しもが”暑い夏”に”熱い夏”を思い浮かべることは自然のことなのである。夏が暑いほど記憶もまた濃く美しく光輝く。友もまた数行のメールに託して”暑い夏”に望郷の念に浸っていることを伝えたかったに違いないのだ。故郷との距離を縮めたい、そういう”暑い夏”がまた来た。

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 恥ずかしながら、以前、望郷の思いを出版した事がある。その時、職場の知人が、ならばこれを聴くべし、とCDをプレゼントしてくれた。バイオリニスト天満敦子の”望郷のバラード”である。切な過ぎる曲ばかりで胸が詰まって、今も安易には聴けない。故郷への惜別の音色に変じてしまうのだ。だから、これは”暑い夏”にはとても聴けないのだ。

 その音色は聴くたびに何故か決まって遠く山の端の静謐な夕景を描き出す。決まって”暑い夏”の夕景なのである。

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 “暑い夏”、”熱い夏”、この言葉には何物かが凝集されている。埋み火のように残っている遠い熱い記憶、”暑い夏”がそれを美しく再燃させて止まない。歳をとるのも悪くない、と言いたかった訳である。

 

了