忘れなそ、ふるさとの山河 〜郷土史編〜

地方の精神と国のかたち、都市は地方の接ぎ木である。

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ミトコンドリア・イブとシンデレラ譚 中世豊後及び海部郡・郷土史研究用資料(27)

 

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ミトコンドリア・イブ(想像図)とその遺伝子の伝播ルート(時間軸)


 日本の説話・昔話は、平安末期の「今昔物語」、鎌倉初期の「宇治拾遺物語」が双璧である。日本のみならず、インド、中国にも採話している。これらを含む説話集の多くは古くより日本全国に伝播し、それぞれの地方の固有の生活文化と混淆し、独自の説話・昔話としてそれぞれの地で今に伝えられて来ている。

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 西欧では紀元前6世紀の「イソップ物語」(アリとキリギリス、ウサギとカメ等)が最も古い。「グリム童話」(ヘンゼルとグレーテル、白雪姫等)は19世紀に採話され脚色が加わっている。同じ19世紀の「アンデルセン童話」(人魚姫、マッチ売りの少女等)は全くの創作である。

 ところで伝説・伝承と昔話は厳密には違う。伝説は人物、場所を特定しそこに事実を込めようとする。これに対して、昔話は、或る時、或る場所、或る人、と何も特定しない。架空の世界に教訓を込めようとする。いずれも口承であり、本来、文書で伝えていくものではない。

 説話には世界中に似た様な話(類話)が多い。人間社会の行動様式として生活習慣として、同じ様な形になるのは当然かもしれない。一方、「シンデレラ譚」はどうも違うらしい。これは世界中に類話があるが原話から伝播していったという。検証可能な最古の原話はエジプトにある(紀元前5~6世紀の「ロドピスの靴」)。これが西欧ルートと中東アジアルートに分かれて伝播していった(無論、口承であろう)。面白いことにホモ・サピエンスの7万年前のアフリカを出て移動していったルートと同じ経路で伝播している事が考証されている(「シンデレラの謎」)。日本には朝鮮半島を経由して入ってきた。「糠福と米福」、「落窪物語」、「姥衣」が類話である。シンデレラ譚は西欧より早くアジアに伝播している。西欧に先に特許を取られてしまったようなものである。ディズニーがビッグビジネスにした。

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 「さいきのむかし話」が手元にある。豊後佐伯地方の昔話を採話したものである。ここにもシンデレラ譚の類話があるのを発見し少々驚いてしまった。「さいきのむかし話」を考察してみる。

 その前にシンデレラ譚について整理しておく。基本的な構成はどの類話にも共通する。①主人公の実母が死んで継母が連れ子と後妻におさまり主人公をいじめる。主人公は文句も言わず灰を被りながら必死に働く。②そこに援助者が出現する(呪術や魔法を操る冥界とを繋ぐ何物か)。③これに助けられて非日常の宴会や舞踏会が準備され主人公は幸福への機会を得る。④そこで注目を浴び花嫁探しが始まる(花嫁を特定する物が残される)。⑤結婚によるハッピーエンドとなる。

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 因みにシンデレラの意味は、”灰まみれの陰部”だそうである。西欧キリスト教世界では灰には浄化作用がある(灰の祝別式、塗布式)。灰を被る事で娼婦的世界に属する主人公を浄化してしまった訳である。原話からの乖離はやはりキリスト教の介在が大きい。禁欲的世界では娼婦はやはりまずい。端緒となった原話、エジプトの「ロドピスの靴」の主人公は娼婦に落とされた娘である。それが基本構成に従って最後はエジプト王妃になる。ここではキリスト教世界ほどには娼婦的世界を気にしないのが好もしい。

 「さいきのむかし話」にも河童や山姥や雪女といった昔話によくある化け物が出て来る。内容的には若干変化しているが、いずれも日本各地に伝わる昔話の類話である。他の地域に類話があるかは知らぬが、「一話三文」や「水かけゆうれい」は、独自性があって中々面白い。佐伯地方独自の昔話であることを期待したい。

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 シンデレラ譚の類話と思しき「継子と地蔵」を見てみる。①継母に、姉(継子)と妹(連れ子)が椎の実拾いを言いつけられる。姉には底の無い袋、妹には底の有る袋を持たせる(イジメである)。姉は中々袋が一杯にならない。妹は袋を満たし先に帰る。②姉は彷徨い夜になり地蔵に出会う。地蔵は姉に米と金の鍋、金のお椀、金の箸を渡して飯を食わせる。姉は金の椀と箸は地蔵用に、自分は葉っぱの椀と竹枝で食う。地蔵は告げる。「夜半、鬼達が出て来て小判を撒き散らして舞うのでニワトリの鳴き声を真似しろ」。言われた通りにすると鬼は「朝だ」と退散し落ちた小判が手に入る。③継母はこの話を聞き今度は妹に底のない袋を持たせる。同じ事が起こるが、妹は金の椀と箸は自分用に、葉っぱのお椀と竹枝の箸は地蔵用に使う。妹は同じ様にニワトリの鳴き声を真似するが、退散する鬼をみてつい笑い声を発してしまう。鬼は戻って来て妹を食ってしまう、という話である。姉の幸福な結婚は語られていないが妹は死ぬ(多くの類話では継母と連れ子は死ぬ例が多い)。

「糠福と米福」という類話を見る。同じように底の無い袋でこちらは栗拾いだが、地蔵の代わりに山姥である。継子は親切を施し魔法の小槌を貰う。さて芝居小屋が立ち継母と連れ子だけが見物に行く。継子は貰った小槌を振って着飾り見物に行き若者に見染められるが逃げ帰る。若者の嫁探しが始まる。継子は汚い格好だが木槌を振って見違える衣装に変身し結婚を勝ち取る。”草履”を落としてくるという話になっているものもある。「落窪物語」や「姥衣」も同じような話である。まさにシンデレラ譚の類話と言える。

 日本だけでもこれだけある。我が佐伯地方にもあった。シンデレラ譚は西欧のものではないことが明々白々である。

 さて一般的に日本と西欧における寓話や昔話には大きな相違がある。日本では周囲に協調し欲望を抑制し運命を受け入れる(必ずしもハッピーエンドにはならない、所詮、自然の脅威には勝てない)。西欧では困難を克服し必ずハッピーエンドとなる、自然を支配する。日本は生物が人間に化ける、生物と交わり共生するが、西欧では人間が生物に落とされても逆はない、生物とは一切共生せず寧ろ見下す。キリスト教の影響が強い。日本の昔話の方が”原話”が西欧のように激烈(元になる話には、残虐性、女性蔑視、性的虐待が甚だしい)でないだけに好ましい。

 昔話に関する日本のアンケート結果がある。男性は、”何物かと戦ったり美女が出てくる話(桃太郎、鶴の恩返し、浦島太郎)を好み”、女性は、”財宝などを得られる話(笠地蔵、わらしべ長者、おむすびころりん)を好む”、らしい。納得である。

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 さて、ここに大きな問題がある。採話された「さいきのむかし話」が手元にあると述べた。その口承が途切れつつあるのである。採話し文書化せざるを得ないことがその証左でもある。佐伯地方には、伝える人、伝えられる人がいなくなった。少なくとも中世以降連綿として口承されてきた、ご先祖様が伝えてきた、価値ある民話、民俗遺産(口承文化)が消えて行っている事実に愕然とするのである。ある種のミトコンドリア・イブの断絶である。

 説話・昔話は生きる知恵や道徳観を養うための生きた教育である。かつ口承こそが重要である。その環境の喪失を憂えるばかりである。昨今の社会や政治の乱れもそこに発していると思うのである。

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 参考資料:「シンデレラの謎」(浜本隆志、河出ブックス)

 

了