豊後・大友氏の家臣、「柴田紹安」は野津郷(現臼杵市)を領した「豊後国橘姓柴田氏」の棟梁で豊薩戦時(1586~1587年)には大友氏の出城である「宇目郷・朝日岳城」の城主を務めた。ここで島津に寝返ったことが結局は野津郷・柴田一族断絶の要因となった。大…
「青殺(さっせい)」、何とも非情な言葉である。茶の生葉がその酵素により発酵するのを熱処理して止める事をいう。「失活」ともいう。こちらの方が未だ茶に対して温情がある。 古来、茶は日本の生活文化の重要な位置を占めてきた。かつては生糸と並ぶ主要な…
二年前、「母のツバメ」を書いた。今でも一番気に入っている文章かもしれない。その「春告鳥」が昨年は母の家に営巣しなかった。蛇に狙われた記憶が残っていたのだろう、戻らなかった。母は一人ぼっちになった。 それが今年はツバメに加えスズメも母の家に戻…
母を病院に連れて行った。その目の前に五所明神がある。佐伯藩の一宮である。加茂、春日、住吉、梅ノ宮、稲荷の五所の明神を祭神とするのでそう呼ぶ。佐伯藩時代には旧切畑村の八坂神社から宮司を出してもらい名字も本家の橋迫から遠慮してか橋佐古に変えた…
全国には「和田」がつく地名が実に多い。概ねその多くはかつて海人族(あまぞく)が殖民した地である。海人族の祭る神(祖神)は「大綿津見神」であるが綿(ワタ)は海を意味する。和田はワタが転訛したもので、輪田、波多、畑、半田、八田なども同様である…
・1870年:平民苗字許可令 平民も自由に苗字を公称可能 ・1871年:戸籍法制定 ・1875年:平民苗字必称令 国民は全て苗字を公称義務 江戸時代においても庶民は苗字を持っていた事が証明されている。貴族や武士のように領地(「名字」の由来)は持っていなくと…
富士山の「富士(フジ)」の原義は「急に下がった状態」である。だからそういう状態にある植物の「藤(フジ)」も語源を同じにする。漢字表記は後付け、宛字である。今残る地名の殆どは漢字表記であるが、地名に限っては表意文字だからといって鵜呑みにして…