忘れなそ、ふるさとの山河 〜郷土史編〜

地方の精神と国のかたち、都市は地方の接ぎ木である。

“豊後のロレンス”のブログを訪問頂きありがとうございます。 望郷の念止み難く、豊後及び佐伯地方の郷土史研究と銘打って日々の想いを綴っております。たまには別館ブログ(リンク先)でcoffee breakしてみて下さい。読者になって頂ければ励みになります。

小さな独歩達

 国木田独歩の逍遥した”豊後の国佐伯”にも小さな詩人達がいた。豊かな感性を持って生まれ来た子供達は誰もが詩心を持っている。周囲にある大自然は四季を通じていつもそれを活性させてくれた(今もそうであろう)。

 見事なまでにこれを教育の場で実践した教師と子供達が長野県諏訪郡旧本郷村にいた。もう1937年(昭和12年)のおよそ90年も前のことである。それでもその詩を通じて子供達(尋常小学校3年生)の瑞々しい感性が今でも心に響いてくる。誰しもが小さな詩人であったかつての懐かしい日々を呼び覚ましてくれる。

 その子供達の文集(「山里の四季をうたう」より、井出孫六・石埜正一郎 編)の中からほんの一部だが、故郷の未来の詩人達に、そして詩人になれたかもしれない大人達に読んでみて欲しいのだ。未来の詩人達が今、そういう素晴らし自然の中に詩想を練っている。詩人になれなかった大人達もそこを今一度訪れてみれば、自分がかつて小さな詩人であったことに気付くに違いない。

 “豊後の国佐伯”に来るといい。そこでは多くの人が間違いなく詩人に戻れる。叶うならば、独歩の作品集「豊後の国佐伯」を携えて。

 「君たちはしあわせだ。天も地もみんな君たちのためにある。青い山があるだろう。かじかのいる川があるだろう。うまいすぐりや、じなしや、桃。あぶ、せみ、ちょうちょう、それから鳥や兎。大きな入道雲、おっかない、あのいな光。みんな君たちのものだ。」(石埜正一郎、1937年)

 

<文集:「茶色の仔馬」より>

 つばめ:朝おきると、つばめが 庭にまいあいっていた(飛び回っていた)。見ていると、家の中にはいってきて、でんきのひぼ(ひも)にとまって、たたみの上に くそをひった。<昔の家は解放的だった>

 蚕:蚕の桑を食べる時は、雨のふってる時のようだ。<確かにそういう音がした>

 雨:雨がざあざあふって来た。だいどころでくわこき(桑の葉むしり)していた おかあさん、いそいであまどをしめた。

 なえ取り:なえま(苗代)中で このがって(かがんで)、小さなたばを いくつも作る。

 雨:雨がふってきた。しょうじにぶっかける。

 夏の雨:なつが来た。夕方 雨がふってきた。ばっと ほこりが たってきた。<道、校庭、地面はどこも土が露わだった>

 山へくさかりにいく:きょう山(田畑)へ行った。うんそうにのって行った。いろいろの、つっかかるようの物があったから、らくのこともなく、おちそうだったけれども、かえりにはまたのって、かえりの方がらくだし、じなし(地梨)や いたんどり(イタドリ)をくって、もうけた。山にいるうちは うちへかえりたかったが、うちへかえったら また、山へ行きたくなった。

 へいたいおくり(兵隊の出征式):かえるとちゅうに、風がふいたとおもったら、あぶらぜみがなきだした。

 雨:雨がざあざあ 振って来た。勉強しるのが、いやになった。

 日:となりのやねに 日がさした。私のうちにもさしそうだ。

 ゆりのにおい:ごはんをたべていた。急にゆりのにおいがした。

 とうね(仔馬)いち:今まで三十えんあり、四十一えんありといった。とうねがうられて、おやとはなれながら ひいんとないている 見ているとかわいそうだ

 

<文集:「えぶの木(山葡萄のからまった木)」より>

 空:青空を見つめていると その青空にも どっかの国がありそうだ<空は本当に未だ見ぬ世界への憧れの象徴だった>

 木:ずみの木がゆれた やなぎの木も ゆれそうになった

 お月様:お月様よ かわいいな そらにいばって いろよ

 くものす:朝おきて くものすをみると くもはいない くものすにつゆがあって さむそうだ

 朝:朝おきてみますと 草がひかっていた あさごはんの時 みんなでくうと ぼくはほんとにいい

 弟:弟をねかしつけた  ああさむしくなった あつい

 青空:青空に ひかり たいよう 一つきり

 とんぼ:とんぽ(ぼ)が水の上をまったら(飛んだら)、水の中のむしが なみをたてていごいた(動いた)

 夜:僕が夜あるいていた しんとした ごろっち(ふくろう)が ごろっちほうごろっちほうと ないていた

 木の葉:もみじの葉があかくなる 日があたると 木の葉ががさがさしるようだ(がさがさするようだ)

 いね:稲がみのってる かるな かるとさむしい<素晴らしい感性ではないか>

 お月様:すすきの間から お月さまが出て やっこそう(柔らかそう)

 松:はらの中(原っぱの中)をあるいていた さわさわとなってきた かなしくなった

 川:あたたかい日が つめたい水を さわった ぎらぎら光る

 まりな(キャベツ):まりなを 朝、ゆすって見たら つゆがころころおちた らくそうにおちた

 日:日があたれ ぬくとい(暖かい)日があたれ 山の中へはいる時は げんきでおはいり

 日:雲の間から 日がとぎ(とげ)のようにさした いたそうだ<これ以上の表現があろうか>

 雲:雲はぐんぐんうごかない 早く雲や あっちへいけ

 りんごの木:勉強しる(する)のがいやになった りんごの木のこずえが 冬の日にてらされて くじけて落ちた

 なべ:なべがさむしそうに ひじろ(囲炉裏)にかかっている もいつき(燃え始めの火)が しんとしている

 こたつ:ぼくのうちでは こたつをかけた こたつにあたったら さむい風が来た

 川の音:こたつにあたってた 川の音が とんで来そうだ

 

 「みんな君たちのものだ。君たちのうたはどこにでもころがっている。そういう中で君たちの心は生きいきと動くだろう。君たちはまた、うれしい時も、困った時も、楽しい時も、かなしい時も、いろいろあるだろう。その時は、君たちの心の中に、いろんなうたが一ぱいになる時だ。その時の君たちの心こそ、この上もなく尊い。その時々を、しっかりと、心の中につかまえて行くのだ。君たちは、そのいろいろなこまかい感じの一つ一つを、ほんとうに、大切にしなくてはいけない。

 君たちの作った、このうたを見たまえ。君たちの心は、ますますゆたかに、美しく、正しく、のびて行くだろう。」(石埜正一郎、1937年)

 何も口を挟めない。

 

  写真:旧本郷村(現長野県諏訪郡富士見町の観光情報サイトより借用)