禅宗五山(豊後と禅宗五山十刹、2021.11.11)とは関係ない。大分県佐伯市と宮崎県との県境沿いに屹立する千メートル級の連山の事である。ユネスコエコパーク(日本には未だ10ケ所しかない)に指定された”祖母・傾・大崩”の自然環境に優れた地域にある。
北側から傾山、夏木山、新百姓山、木山内岳、桑原山を言う。この稜線からは西側に日本百名山の祖母山、南西側に大崩山の両峰へ至る事が出来る。いずれの山も佐伯市には属していない点が観光資源的には痛い。エコパークには核心地域、緩衝地域、移行地域の設定が必要だが、祖母山や大崩山が核心地域に指定されている一方で佐伯五山は傾山を除けば緩衝地域にとどまる。
“帯に短し襷に長し”、ではないが、この佐伯五山、”遠来の登山愛好家”にとって傾山を除けば通過点にはなっても到達点にはなり難い。縦走するなら傾・祖母ルートに分がある。五山の雄・傾山も祖母山を前にどちらかと言えば通過点の役割に甘んじる。その名前もやや卑屈である。そもそも岩峰が傾いているように見えるので傾山といわれるが、一方、祖母山大明神より頭が高いのはまずかろう、よって自ら頭を下げたとも伝わる。
4/29に傾山、5/3に祖母山がいよいよ山開きである。登山客は三方からのアプローチが可能である。豊後大野・竹田ルート(大分県)、高千穂・日之影ルート(宮崎県)、そして佐伯宇目ルート(大分県)である。前2ルートは祖母山を共有し宮崎県側ルートは大崩山を内懐に抱き、いずれも魅力的な登山ルートを提供する。
佐伯ルートのハンディは大きい。遠来者には佐伯市内から登山口までが遠く、傾山に登る場合でも前2ルートからのルートが優位である。また、その登山客を五山に取り込むには同様に前2ルートの魅力が壁となる。佐伯五山は地元の登山客を魅了するにとどまっているのが現実ではなかろうか。
さてこの五山縦走ルートを魅力に転じる方策はないのだろうか。筆者は二十代に勤務先の山岳部に属して以来、その後の人生においてすっかり山歩きを諦めた。北アルプスや南アルプス、奥羽山脈を縦走した青春時代が甘い思い出と共に蘇ってくる。佐伯五山縦走ルートが痛くこれを刺激した訳である。経験的に名峰を堪能するにはそれに並走する稜線上から眺めるのが最高である。縦走の魅力の一つでもある。佐伯五山を縦走したい。それ以上に五山の名を世に知らしめたい。そういう思いが湧いてくるのを抑え難いのである。無論、甘い思い出はもはや断じて望むべくも無い。これまでのブログへの投稿記事をめくってみた。いずれも偏執的と言えるほどに佐伯地方のハンディについて触れている。結局、ハンディを魅力に転ずるしかない。その"僻地性"こそが売れる時代にあるのではないかと。
解決策はある。稜線を繋ぐ佐伯周回ルートの実現である。高峰はないが”山と渓谷と海”が見飽きることのない景観の変化を提供してくれる。何しろ地質学的には付加体上に創造された火山の全く存在しない、九州では稀有な山陵である。その稜線は途切れる事なく総延長は130kmに及ぶ。佐伯五山縦走ルートがもっとも生きるのである。稜線に囲まれた内懐の佐伯地方の歴史文化への結節点にもなる。そこに里山も数多く佇んでいる(急がぬとその消失が止まらない)。トレッキング、ロングトレイル、トレイルランニング、いずれにも最適な環境の提供が可能であろう。
ふるさとの山々にはかつては尾根道が張り巡らされていた。人々はそこを往来してきた。今はその尾根道の自然回帰が甚だしいが、これに手を入れ再生すれば周回ルートに変貌するはずである。何よりふるさとの歴史もその古道と共に蘇るに違いない。道は人の歴史そのものなのであるから。その路傍に埋もれ逝く古き地名も掘り起こし磨いてやりたいものである。それは民俗の核心でもある訳だから。
コロナ禍の長期化は世の人々の心の疲労蓄積をすっかり助長してしまった。今こそ素晴らしい自然に触れ、そこにある歴史文化から豊かな想像性を取り戻すべきであろう。”心の洗濯”が必要なのである。そういう場はいくつあっても足りることはない。資金調達と運営方法次第である。“まずは隗より始めよ”、 さてさてそれが頭痛の種である。
毎夜、そういう夢が途切れる事なく襲ってくる。夢は枯れ野を駆け巡っているだけではいけない。
了