忘れなそ、ふるさとの山河 〜郷土史編〜

地方の精神と国のかたち、都市は地方の接ぎ木である。

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南海部(みなみあまべ)の夢物語 Y2-07

 豊後佐伯地方(旧南海部郡)では山に登ればどの山からも豊後水道とその向こうの四国の見事な眺望が容易く手に入る。16世紀末の最後の国人領主佐伯惟定も、その後に入封して来た毛利高政も、それぞれの山城から同じ光景を眺めた。海に出よう、海で生きよう、と思ったに違いない。現在でもその光景と人々の思いは変わらない。

 佐伯地方は豊後水道に面し、内陸部は重畳の山々が途切れる事のない稜線を形成し、この地方をぐるりと囲んでいる。その内懐に人々が暮らして来た。海岸線は、かつては「佐伯の殿様浦で持つ」と言われる程に、兎に角、魚が取れて仕方がなかった。魚が回遊してくるといずれの湾も海水面が盛り上がるほどであった。稜線が何故か漁の巻き網や定置網に見えてこようというものだ。

 

 かつてのこの地方へ来着した多くの人々の如く、現在においても外から人流を誘い込むような仕掛けがないものか、そういう夢物語である。もっとも肝心の魚は今やさっぱり回遊してこなくなった。これがこの地方の問題の根源かもしれない。もはや「佐伯は浦では持てなくなった」のである。ならば陸の魚、つまり人流、を回遊させようという失敬な話である。

 この山と海と渓谷で成る地勢は佐伯地方ならではの「宝の山と海」である。長大な稜線をトレッキング路に整備すればいい。そこから内側に降りる道を付けて里山や渓谷を人々に周遊させればいい。既に海岸線は釣りマニアの天国になっているのだ。定住なら尚いい。かつての漂着者の末裔達が今も定住している。元々そういう移住者の地でもあるのだから。

 

 さてその人流を「稜線の網」の内側までどう呼び込むか。それこそが湾の入り口に並び立つ中世と近世の山城、栂牟礼城と佐伯城なのである。いずれもその稜線や海の向こうの四国を見張るかす絶景ポイントでもある。栂牟礼城と佐伯城がその網を引く船の役目を担っているかのように思えてくるのである。

 この両山城は果たして世間ではどの程度の魅力を持っているだろうか。そこが鍵である。佐伯城は世間に微かにその存在を認知されているようだが、栂牟礼城は全く取り上げられる事はない。地元の人々さえ記憶の中に殆どとどめていないのだから。

 最近、「城郭考古学者が選ぶ絶対に攻めたくない山城ベストテン」なるものが発表されている。居並ぶ強豪の中に予想さえしていなかった豊後の高崎山城が三位に入っている。確かにこの山そのものが難敵である。豊後大神一族が西遷御家人の大友氏が入国してくる時、あるいは征西府の懐良親王軍に大友氏が対抗する時、守りに利用した堅牢な山城である。選定結果には納得するしかないが今は当時の面影は乏しい。だから国指定史跡にもなっていない。

 同じ時代の佐伯地方の栂牟礼城はどうであろう。いささかも負けるものではない。大友宗麟の二万の軍勢も落とせなかった堅城である。実に険しい山城である。縄張りも高崎山城に引けを取らない。絶対に攻めたくない山城なのである。しかも支城としての小田山城を抱えて二重構えの世間にも稀有な堅固な山城である。

 

 「九州隠れ山城十選」(九州観光機構:九州旅ネット)がある。豊後では玖珠町の角牟礼城と佐伯城が選ばれている。角牟礼城は佐伯城を築城した毛利高政が日田・玖珠二郡を領した時代に整備した。その後、その高政が築城した佐伯城が築城経験上これに優っていて不思議ではない、いや当然であろう。ただ、隠れ山城と有難くない言われ方をされてしまうように世間の認知度が今一つなのである。稜線の向こう側にある同じ山城である岡城とは注目度が全く違う。岡城は隠れ山城などというマイナーな扱いではない。メジャーなのである。

 因みに戦国時代、島津氏の豊後侵攻により大友麾下の城が悉く落城あるいは開城する中、豊後に若き二雄が出た。岡城の城主・志賀親次と栂牟礼城の城主・佐伯惟定である。岡城は落ちず、惟定は栂牟礼城下に島津勢を敗走せしめ、最後は日向国境に島津家久を追った。歴史面でも引けをとるものではない。だが佐伯城以上に栂牟礼城が脚光を浴びることは無い。

 そういう二つの魅力的な山城が佐伯市内に、しかも数kmの範囲内に並立しているのである。城マニアにとってだけでなく歴史愛好家にとってもこれ程の魅力的な場所はそうは無いのではなかろうか。「稜線の網」に人流を誘い込む「引き船」として遜色はないと信じているのである。もっともその為にも両城の整備が喫緊の課題ではある。

 岡城に来るならこの稜線を越えて佐伯に来い。宇和島城に来るなら豊後水道を渡って佐伯に来い。決して損はさせない。なんなら定住してもらってもいい。ここは「宝の山と海」で溢れているのだから。そういう南海部の夢物語である。

 さて正夢にならぬものだろうか。

了